Category * 気になるラベルへどうぞ

[ ABOUT ] (1) [ ESSAY ] (30) [ ITEM ] (17) [ NOTES ] (35) [ PHOTO ] (62) [ PICK UP ] (40) [ VIDEO ] (6) [ とり食堂 ] (35) 1984 (2) Acting (6) Art (16) Bags (6) Band (1) Beastie Boys (3) Birthday (5) Black (11) Blue (16) Book (12) Bread (2) Brown (6) Cinema (13) Coffee (2) Colorful (15) Comedy (2) Dance (1) Dayoff (24) Death (5) Dinner (16) DIY (6) Dream (8) F (2) Family (21) Fashion (29) Flower (9) Food (7) Friends (19) Fruits (4) Gold (4) Green (19) Grey (1) Holiday (2) Home (16) Japanese (2) Jewellery (3) Kids (7) Library (1) LiveShow (2) Love (20) LudwigWittgenstein (1) Lunch (9) Morning (5) Music (31) Navy (1) New Year (2) New York (5) Night (18) O (7) Orange (3) Pants (2) Park (3) Pink (15) Poetry (1) Purple (2) Quotes (1) Rain (1) Reading (7) Red (18) RIce (15) Salad (3) Sandwich (2) Shoes (4) Shop (1) Skateboarding (9) Skirts (1) Soundcloud (6) Soup (2) Sports (10) Summer (2) Tableware (6) Tea (1) Theater (2) Tops (3) Traditional (5) Tv (1) Video (25) Vynal (2) White (15) Wine (3) Y (9) Yellow (6) 鳥より (4) 弁当 (3)

2011/12/25

{ NEW ITEM } Three Polish Pottery

《 コロンとした形がツボ 》


《少しずつでもいいから、本当に良いデザインのものを手にしたい》



両親と自分の為に、クリスマスプレゼントとして
大好きなPolish Pottery(ポーリッシュポタリー)というポーランド食器を買った。

黄色が自分、トマトが母、ブルーを父に。

うちの人間は昔から、どんな時も毎朝コーヒーが必要だから
素敵な食器でこれから先もコーヒーを飲もう。

2011/12/23

クリスマスギフトボックス

《 DO IT YOURSELF 》


クリスマスプレゼント用のギフトボックスを工作中。


マスキングテープで装飾を。


多少のバランス難は、ご愛嬌。





《 プレゼントを用意する時間と手紙を書く時間が好き 》



よく見ると、テープ編み込んでるんです。


なかなかイメージに近いものができたかな?



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/12/22

{ とり食堂 } 和食弁当 〜その4〜

《 ちいさく見えて 実はでかい弁当 》



メインは右側にはいってる、豚の柚子胡椒焼き。


弁当のおかずの味付けは濃いめが鉄則、冷めても美味しい。


ブロッコリーはボイルしただけ、豚肉と食べるから。





《 白飯に『ゆかり』かけちゃうんだよなあ 》


白飯じゃなくて、押し麦もはいってる。食物繊維!


グリーンは三つ葉の茎の部分、シャキシャキとした食感を残しつつ。


冬は、和食の弁当の方が食欲わくね。




Thank You For Visiting :)

  にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ    

ついに買ったハンディブレンダー

《 これでグリーンスムージーも作れる 》



今年、自分にあげたクリスマスプレゼントは、

BRAUNのハンディブレンダー。

ずっと欲しかったハンディブレンダーだけど、

有名なバーミックスとかは高くて買えませんでした。

それから月日は流れ、

先日お料理を教わった親戚のお姉さんが
前述のBRAUNを使ってたので、いきおいで決定。

耐熱性だからお鍋の中で直接ピューレ状にできる優れもの。

早速今夜は、本で読んだフランス料理の
モザスープもどきをつくってみました。

お料理の幅がグッと広がる予感だなあ。



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/12/20

南仏料理をつくってみたい

《 小鍋はたくさんあると便利 なるほど 》


今日は親戚のお姉さん宅に、南仏料理をおそわりにきました。

お姉さんはフランスに留学経験もある、本格派。

話せるし作れるし、センスもバッチリ。カッコいい。




《 じっくり炒める時というのは、本当にじっくりなのだな 》


十年ぶりくらいの再会だったけれど、
連絡を取り合っていたので教えてもらいたいメニューの相談もできました。

わたしのリクエストは『チキン料理・スープ・クリスマスディナー用』

写真の赤は、ポタージュスープをつくる為のパプリカ。
パプリカがスープになるなんて、考えもしなかった!




《 こまごまとしたコツをメモしておこう 》


見えている葉っぱは、ローリエ。
お姉さんの家の庭には、立派なローリエの木がありました。

葉を少しちぎるだけで、新鮮な香りがひろがります。

わたしもいつか、お嫁にいったら、
庭やベランダにハーブをたくさん育てたいな。



《 おしゃべりしながら3時間 あっという間 》

クリスマス用のテーブルをセットして、
いざ、ご馳走になります。

やっぱり食事は、目でも楽しめなくちゃだめですね。
美しい食卓に感動して、何枚も写真を撮ってしまいました。




《 このチキンの照り、技ですねえ 》


チキンの香草焼きを教えてもらえるなんて、すごく嬉しかった!
ずっと前から本格的に作ってみたかったのです。

自分で作ると、チキンがパサパサしたり、皮がブニュっとしてたけど
コツを教えてもらったからもう大丈夫かな?

お姉さんがつくったチキン料理はジューシーで皮もパリっとしていて、
EXV.オリーブオイルと塩とハーブだけなのに、なんとも複雑な味がしました。




《 贅沢この上ない 》

フォアグラのムースまでご馳走になりました。

これは一緒につくらなかったけれど、美味しくて、
見た目も気が利いていて、とても印象的な一品でした。

フィンガーフードって、もっと学んでみたいな。



《 レストランじゃないのよ 》


最後は、わたしが持っていったお土産の紅茶と一緒に
お姉さんが作ったデザートを頂きました。

ため息の出るほどのハイレベルな料理の味と、
作っていく過程や環境、
素敵な食器類とテーブルセット、盛りつけ。

食いしん坊の胃袋は満たされ、
おまけに料理・文化・ライフスタイルについて
向学心をとても刺激される一日でした。

オーナメント飾りますか


《 このデザインの鍋敷きもあったような 》



今年は3歳の甥がいるので、我が家もクリスマス飾りをしました。



すごく久しぶりです。5年ぶりとか。



昔からパッチワークが趣味の裁縫上手な母の作。

このオーナメントやタペストリーは、わたしが子どもの頃から見ているな。

懐かしい。


もうずいぶん長いこと押入れの中にあったんだわ。






 《 こっちはモコモコの綿入りで一番すき 》



さり気なくても、手作りはやっぱり可愛い。


わたしもお裁縫できるようになりたいなあ。


いつかお嫁にいけたら、自分の子供にもつくってあげたい。



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/12/09

あかとみどりとしろとかキラキラ


《 Mariah Carey  / All I Want For Christmas Is You 》



個人的な2011年を振り返りはじめたこの頃、

心も身体も束の間の冬眠をして治癒したり蓄えたりしていると思う。

それから、例年になくクリスマス気分が盛り上がってきた。

こういうイベントごとを恥ずかしがるような『若者のとがり』も消え失せ、
わたしもちょっと大人になったということなのかもしれない。

2011/11/14

{ とり食堂 } サンドウィッチ 〜その1〜

《 このメニューには粒マスタードの方があうね 》


ジューシーに焼いた厚切りベーコンと

クリームチーズと野菜のサンドウィッチ。

もうすこし厚めのトーストを用意しておけば

このサンドウィッチはパーフェクトだったな。


「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/11/13

Notes 10. 11. 12.

Notes 10.

 母が見せるこれから先の時間にたいする不安を、二つ返事で「まあ、まかせてよ」って、解消してあげられる自分になりたいのに、その準備すらまだ始められていないし、フラフラしたキャリアの中に、わたしはいる。

 独身で、結婚を考えるような恋人もおらず、実家で暮らしているわたしには、近い将来両親を支えられるだけの経済的体力がたしかに必要だ。それはわかっている。
 けれど、思う。両親のことばかり考えた人生を選択をしていくようになってしまったら、新鮮な水の流れのような希望に満ちたビジョンはなくなり、溜まっていく池のような停滞感を感じてわたしは犠牲者ぶってしまうかもしれないし、酷い時には鬱々とふさぎ込んでしまうかもしれない。
 池には年月と共に苔が蒸していく落ち着いた美しさがあるけれど、生命力豊かに止めどなく流れて行く川のような、爽快な美しさはないのだ。


Notes 11.

 同年代の子と話をすると、みんな同じような不安の中にいるとわかる。
 両親からきつく要求されていて、プレッシャーで夜も眠れないという子がいたり、そんな会話で喧嘩ばかりという子もいる。うちの父は何も言わないし、母は時々本当に気持ちが弱った時だけ打ち明けてくるという立派な人たちだけれど、そんな ”親の不安” というものを解消できる経済的土壌も耕せておらず、また、不安をやわらげるように母の話を冷静に聞いてあげることすらできない自分を、今夜は本当に残念におもった。
 母の不安を見るのが悲しかったし、すぐにどうにかしてあげることができない自分が不甲斐なくて、涙がこぼれたのだ。
 もしかしたら、子供にとっていくつになっても最強の存在である親が、弱気になっているのを見るのが恐ろしかったのかもしれない。簡単に言うと、憧れの先輩の私服がダサかった時のショックに似ているし、幼稚園の時、お昼寝の時間に担任の美人先生が鼻くそをほじっていたのを目撃してしまった遣る瀬なさにも似ている。孫悟空にとっての最強の敵が謎の新キャラ ”ウーブ君” だった時の切なさにも似ている。
 ヒーローには負けて欲しくないという子供じみた気持ちを、ついつい親には抱いてしまうけれど、いい加減そんな ”甘えた” から卒業しないといけないのだろう。
 家の外ではそれなりに年相応な顔してるけれど、家に帰ればすぐさま末っ子だ。この2つのバランスをうまくつけていかないと、わたしはショーモナイ大人になってしまう。現状は黄信号だ。自覚せねば。


Notes 12.

 『自立する=家を出る』というのはよく聞くけれど、女の子の場合はそうじゃないパターンも多いと思う。『結婚しないで実家にいて欲しい=一緒に生活をつくっていこう』と実親から願われるケースだってあるのだ。結婚しないで、は言い過ぎかもしれないけど、こういう将来の不安を考え始める夜はとても苦しくなってしまう。

 どこの家庭も同じで、わたしの同年代だけの悩みじゃないともわかってるけれど、人生のオモテ部分ではない日陰の悲しさみたいな心細さと、みんなどうやって折り合いをつけていくのだろう。

 一日二日ではどうにか解決できる不安ではないし、もしかしたら一生付き合って行かなければいけないのかもしれないけれど、川のように流れながら池の落ち着きも持てる人生を送れるように、『自分は ”何を仕事にして” オマンマを喰っていける人間なのか』というフワフワした疑問心にいい加減答えを出して、エンジンふかして頑張らなければいけないと思った。(それが長い人生の中で当座の方向性であったとしても、とにかくその時一生懸命に道を進む覚悟という意味で)
 それは人それぞれ、『パン屋になる』ということかもしれないし、『誰かの奥さんになる』ということかもしれないし、『アルバイトから正社員になる』ということかもしれない。
 なんであれ、わたしよ頑張れ。両親を守る経済力を持ちながら、フットワーク軽く自分の人生を謳歌できるようなカッコイイ30代を迎えろ。

2011/11/03

トーリー・ブラウンより〜3〜

  • ねえスヌーピー。

  • 今日 ボクの年下の友達が、君のことを『ヌーピー』って略称で読んでたよ

  • 君というキャラクターがまとうイメージを、ボクはこれまで勘違いしてたんだろうか。

  • 発音的に『ヌーピー(↑)』ではないんだ、ヌーピー(↓)』なんだ。

  • いわば『渋谷』と同じ発音だったんだ。

  • ねえスヌーピー、君は、どうおもう?



  • 〜トーリー・ブラウン〜

2011/11/01

アイロンからの考察


《 アイロン掛けが もっとうまくなりたい 



 アイロン掛けというのは、とても奥が深いのだと、なんでもない平日の昼下がりに気がついてしまった。

 それは、ある部分を整えてからまた別の部分を整える時、一寸前にプレスしてシワひとつなくなった部分が常に新しいシワの脅威にさらされるからだ。

 例えば野球グラウンドのトンボがけや、(やったことないけれどたぶん)石庭にほうきで砂紋を描く時のように、どこから始まり・どこで終わるのか、その道筋を頭で考えてからでないと上手くアイロンをかけることはできない。しかし、この2つの例が平面の世界を相手にしているのに対して、アイロンがけの場合はシャツやブラウス・スラックスのような幾つかのパーツが集まって出来た洋服が相手だ。言ってみれば、3Dにはびこっているシワを相手に作業していかなければならないため、トンボやほうきのように一筆書きができない。

 事によると、甲子園のグラウンドをテレビに映せるレベルに整えるより、龍安寺の石庭をつくるよりも、世のお母さんたちのアイロン掛けの方が高度な技かもしれない。
もちろん、ちょっとオーバーな解釈なのはわかっているけれど、この比喩を使いたかったから無理矢理ねじこんだという訳でもない。毎日当たり前のようにシャツを着ている人にこそ、アイロン掛けの妙技を伝えたいものだ。


***




 シャツにアイロンをかける時は、まず襟をプレスする。

 人の視線に一番さらされる襟がよれてちゃ、どんなお洒落なシャツを着ていたって元も子もない。だから真っ先に襟に取りかかるのかもしれない。

 それから次は肩だ。

 例えば後ろ姿の場合、肩から背中の上部にかけた、一枚布の肩ヨークが絶対的に視線にさらされやすい。だから、ここぞとばかりに丁寧にアイロンをすべらせなくちゃならない。

 今度は袖の先にあるカフスと呼ばれる部分をアイロンの先をつかって整えていく。ボタンの周りをくるっとまわりながらテキパキと、ここはあまり時間をかけないでむしろリズミカルなくらいがちょうど良い。


 そしていよいよ袖をプレスする。

 シャツの部位が映画のキャストだとしたら、袖はさながら助演といった所だろうか。肩からカフスに掛けた袖の側面ラインがきっちり一本線で立ち上がるように、袖のシワを勢い良く伸ばしていく。

 最後は身頃と呼ばれる広範囲だ。

 前面はシャツにとってまさに看板なので、堂々と美しく仕上げる。ハイドンの交響曲のように堂々と。もちろん背面も大切だと思う。シャツを着た時の佇まいに清潔さをプラスするのは、何と言っても背面の伸びやかな勢いが必要だ。ともあれ、シャツの主役であるのはやっぱり身頃という全体だから、前面と背面に注意深くアイロンをすべらせていくのだ ー 。


***



 往々にして、モノゴトを細かく潔癖に整頓しがちなわたしには、全体把握の意識が足りない。

 今日のアイロン掛けにしてもそうだ。小さなシワが気になって、三歩進んで二歩下がるばかり。なかなか仕上がりに納得することができず、時間ばかりが過ぎていった。
 なんというか、アイロンがけを手早く上手にできるということは、『部分と全体を常にとらえながら完成させる』という柔軟で広い視野のイマジネーションがある、ということかもしれない。そして、人間関係も、仕事も、遊びも、思考も、スタイルも、パーツパーツを完璧にすれば、トータルが満ちる訳ではないと気がついた。

 こんな事、多くの人はもう知っているのかもしれないと思うと恥ずかしいけれど、あの瞬間、確かに自分がレベルアップする音が聞こえたような気がする。おまけに、アイロンから立ち上る蒸気からは、とても幸福な休日の香りがした。



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

{ とり食堂 } ブロッコリーといんげん豆のグリーンスープ

《 ピンク色は赤米です 》


Broccoli and Kidney Bean Green Soup


 ブロッコリー

 インゲン豆
 たまねぎ
 雑穀いろいろ
 すりごま
 チキンブイヨン

食材をみじん切りにしたのがポイント。


野菜をザクザク切って、お腹にたまる『食べるスープ』にするのも良いけど、
今回は雑穀を入れたので、大麦と同じ5ミリ〜1センチくらいに刻みました。

野菜と雑穀の舌ざわりが統一されるので、食べ易くて素朴な雰囲気のスープになります。


はじめに玉葱のみじん切りをフライパンでゆっくり炒めたら、

ブロッコリーを入れて塩・胡椒して、この”スープのタネ”に味をなんとなくつけます。
ちなみに、優しい味わいにしたかったので、今回はガーリックや生姜などの香味野菜はつかってません。

あとは炒めた”スープのタネ”を鍋にうつして、

チキンブイヨンと雑穀、鍋の大きさに合わせた水、すりごまを適量を加えて
30分位弱火でコトコト煮込んでいきます。
すりごまを入れることで、味にコクがでますよ。

インゲン豆は少し食感を残したほうが美味しいので、

さいご5分位で鍋に加えた方がオススメかもしれません。

スープ皿に盛りつけて、食べる直前にアボカドオイルをひとまわしかけます。

刻んだクルミを振り掛けると味は完璧。もちろん、なくても美味しいです。



「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/10/31

トーリー・ブラウンより〜2〜

ねえ、スヌーピー。

掛けていたコートが床に落ちているのを見つけた時、

僕はいつも暗い気分になるし、

つい『クソッタレ』って悪態ついちゃうんだ。

ホントその時だけ、僕ってば『クソッタレ』って言っちゃうんだよな。

そんな時ってあるかい?


〜トーリー・ブラウン〜

トーリー・ブラウンより〜1〜

お店でもらう紙袋ってやつは、なんでこうも素敵に見えるんだろう?

ビニールだといつも通りのさえない日なのにさ。

紙袋を持つと自分が雑誌に載ってる人みたいに思えるよ。

だから僕、集めちゃうんだよな。

ねえ、君はどう?スヌーピー。


〜トーリー・ブラウン〜

2011/10/30

{ Music } R.E.M. / We All Go Back To Where We Belong

ラストダンスですね…。


R.E.M.

We All Go Back To Where We Belong




I dreamed that we were elephants

Out of sight, clouds of dust
And woke up thinking we were free

I can taste the ocean on your skin

That is where it all began
We all go back to where we belong
We all go back to where we belong
This really what you want
This really what you want







「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/10/17

セイ グッバイ マイ ネガティブ

《 部屋でぼんやり考えた 》


 ほんの数ヶ月前のことを、とても遠くに感じていた。

 ほんの数ヶ月前、自暴自棄だった頃に比べれば今の心身はとても柔らかで、日々の優しいことや、こそばゆい笑いに涙がチョロりこぼれるほど、わたしは癒えているのだと今夜気がついた。

 あの時期に感じていたのは世界の重力と、それに反比例するもぬけの殻の自分だった。地に足がつかず宙に浮いていた。

鬱々と思考ばかりくりかえす日々から脱却し、生活がひとつのサイクルに乗りはじめると、気がつかない程度ほんの数ミリずつくらい、日々を形成する物事は好転していったように思う。

 思い起こすのは家族との笑いやイザコザ。
 お互いに傷つきやすくて、うまくいかない不器用なコミュニケーションに、美味しい食卓。それから、会えなくても誠実に想いあえる友人たちのこと。陰鬱に悩みたがり屋なわたしよりも、もっと大人で、軽やかに悩む可愛い友人たちの発言。そして彼らがそれぞれのリアルライフにお行儀良く隠した、本当の辛さ。そんな彼らの姿はとても美しい。また別の友人が、夏の銀座の小さな画廊で見せてくれた恋人を想う甘い眼差しは、とろけるような幸福感をわたしにくれた。
 結婚を控えた友人と過ごした時間についてはどうだろう。彼女が一人で暮らす部屋に泊まるのはこれがもう最後なのだと思うと、わたしは哀しかった。確かにしかったのだ。けれど、彼女がもう一人じゃないと思うと、帰り道の電車の中ではやっぱり涙がこぼれたりした。
 姉が結婚した時もそうだった。もう自分だけの、自分一人にとってのお姉ちゃんではなくなるのだと思うと、心が破れそうだった。その頃のわたしはあまり家には帰らなかった。
 けれど甥が産まれてかわったと思う。
 命が産まれた瞬間に初めて立ち会った、あの非現実的な美しさに満ちた日を、わたしは今でも時々思い出す。無性に心細い夜の孤独が襲ってきた時には、産声をあげたばかりでフニャフニャで、一生懸命に泣き声をあげる小さな命のかたまりだった甥の、健気な姿を思い出すのだ。わたしも母のお腹から、あんなふうに健気に必死に産まれてきて、寒さや初めて聞く外の世界の物音に驚きながら震え、泣きながら、はじめたばかりの呼吸をしていたのだろうと思うと、力がみなぎってきて、心細い夜の孤独は影を潜めていくのだ。そして、いつの間にかゆっくりとした眠りに包まれている。
 そんな甥も、昨日でようやく3歳になったらしく、それは大したもんだと嬉しくなったりもした。甥は重度の食物アレルギーなので、本人も姉夫婦もたくさん試練を乗り越えてきたし、うちの両親も何度も救急病院にくり出したようだから。

 わたしが甥のことを好きだと思う瞬間は結構たくさんあるのだが、それを印象づける晩があった。
 甥や姉夫婦は、甥が産まれてからというもの毎週のように我が家へ泊りにきていた。狭い家に大勢が寝泊まりするので、甥たちはリビングルームに布団を敷いて寝ていたのだが、甥が2歳くらいの頃に、深夜に寝ぼけている姿をわたしはこっそり見たことがある。たまたまわたしは自分の部屋から皆のいるリビングへ水を飲みにいき、そこで眠ったままの姉とその隣りの布団で座ったままボーッと寝ぼけている甥を見たのだ。薄暗がりに浮かぶ白い小さな背中が、寝ぼけたまま右へ左へユラユラしながらぼんやり宙を見ている姿を見て、なんと可愛いい奴なのだと思った。暗い部屋の中、小さな子供がひとり起きている姿をみるのは、あの時がはじめてだったから。いつもの風景に見慣れないものがあったことが、わたしを驚かせ、それと同時に妖精かなにか、そんな神秘的なものを見ている気持ちにさせたのだった。

 友人に優しくするよりも、家族に優しくすることのほうがよっぽど難しいと昔から思う。より小さな空間の中で交わされるもっとも身近な愛情は、喜怒哀楽のすべてを膨らませてしまうからだ。それはつまり、喜びや楽しみを共有できる幸せな波動を倍々に膨らませることができる反面、どんなに些細な怒りやどんなに小さな哀しみも、顕微鏡を覗くように拡大して見えてしまうということだ。家族に
優しい自分でありたいと強く思う気持ちと、実際にそれを実行できているかどうかは、相変わらずアンバランスかもしれない。けれど、今のように落ち着いている日々の中で、身近な人への丁寧な心配りの手触りが、わたしの身体に染み込みますように。 

 大人になると、生活の大部分の時間は仕事をしている時間だ。わたしが自堕落な時間から抜け出せたのも、新しい仕事をはじめたからだろう。仕事をする中で直面する多種多様なストレスはあると思うけれど、仕事をしない、仕事がない、ということの方がよっぽど辛いと思う。
 前職と比べ、仕事内容も環境もまったく違う場に飛び込んだので、色々なことに慣れるのはそれなりに大変だったし、カルチャーショックも多々あった。けれど今では仲良くしてもらえる人たちもいて、毎日の仕事には驚きと緊張と、進歩していく楽しみがある。職種を変えることは、わたしなりに大きな決断だったけれど、今ではこれで良かったのかもしれないと感じている。それは、『自分の決断は人生謳歌の感覚にナチュラルでいられたのだ』という深い納得があるからだ。新しい仕事をはじめてからというもの、前職を続けながら感じていた適正への違和感はなくなった。

 家族や友人や仕事のことで、なんだかんだ、淡々と忙しくしているうちに、数ヶ月前に感じていたぼんやりとした不安は少しずつ消えていった。気がつけば、曇りガラスの内側に閉じこもったまま、社会という外界を眺めているような疎外感も自己嫌悪も、なくなっていた。

 日がな一日、河川敷の草むらに寝そべって空を見上げ、水色の空の中に吸い込まれるような感覚で現実逃避することもなくなったし、何かに怯えながら夜を歩き回ることも、今はもう、ない。

2011/10/16

Graceful

《 嘘っぽくなければ それでいい 》

 

色々なこと。

本当にありとあらゆる色々なことにとって

最終的に大切なのは、結局そこに品があるかないか。
それだけ、と思う。

嘘とか見栄とか自分を大きく見せるとか、

いかにイケてるかのさりげないアピールとか全部、
わりと手軽に日常的に、
ヒョヒョイのヒョイと出来るけれど、
やらない方が良いだろう。

だって、それ、品がないもの。



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/10/04

NEED / EAT

《 なにが ほしいの? 》


 今から7~8年くらい前、わたしは演技の勉強をしていた。

 『NEED/ニード』というのは、ニューヨークの演技コーチが教えてくれた言葉だ。 
 結局ほんの数年間しか役者といえるような活動はしなかったけれど、演技をはじめたその当時は、まだ自分の人生の『芯になるもの』を探しはじめたばかりの若いオンナノコだったので、勢いと思いつき重視の、大胆な行動力があったような気がする。そのうえ芸術学校に通っていたわたしは、若いアートの(ちょっと勘違いした)学生らしく、内なる情熱と好奇心の赴くまま、前へ前へと行動を続け、その勢いのまま、ニューヨークまで演技の勉強に行ったのだった。

 映画で見ていたニューヨークの汚い地下鉄や、時代がかった建築物、アーシル・ゴーキーにジャクソン・ポロック、憧れのアート作品やグッゲンハイム美術館のフォルム。世界各国から集まった食材の市場やチャイナタウンの飲茶、リトルイタリーのカフェでお茶をして、お金がなくなったら街角のジャンクフードを食べて帰った。
 履き古したブルージーンズと首のよれた白いTシャツスタイルだった化粧気のないわたしは、ニューヨーカーたちのハイファッションに目移りしてばかり。
 ブロードウェーでは『CHICAGO』観て、オフ・ブロードウェーでは愛しのイーサン・ホークの芝居に酔い、ブルーマン体験をした。オフオフ・ブロードウェーでは名もないアーティストたちのコンテンポラリーダンス作品を観て、意欲を刺激された。

 ニューヨークを初めて体験したあの当時のわたしは、あの場所に、『まだ見つかっていない自分の夢』の可能性を感じていたような気がする。歴史と文化と人種とアートが街中に溢れかえっているニューヨークという場所と、そこにある人々の生活に、すっかり魅了されていたのだ。

 
* * *

 表題にある『NEED/ニード』という言葉は、ニューヨークで受講した演技クラスで出てきた言葉だった。
 演技コーチのロベルタ先生は、私たち生徒たちに繰り返し同じ質問をした。

 《What's Your NEED (あなたのニードは何)?》

 それはとても単純な質問だったが、同時に人間としての本質的な問いでもあり、わたしにとっては少し難しい質問でもあった。



 《自分自身の心と親密になりなさい》
 《自分の中にいる、幼い子どものままの自分自身を見つけて、甘やかしてあげなさい》
 《感覚や感情を大切にあつかいなさい》
 《自分の欲求に素直に身を任せることは悪いことではない、それを思い出しなさい》

 21歳になろうとしていた当時のわたしは、『大人になりたい』と思いはじめていた時期で、学校でもアルバイト先でも家庭でも、『ちゃんとしなくちゃいけない』『感情論ではなく、理性的に正しい選択をしなければいけない』『筋の通った意見を述べなければいけない』といったように、”建前こそ立派だけれど実のところは頭でっかちな考え”を持っていたし、しかもそれを本心でカッコイイと思っていた。少し背伸びして『しっかり者』になろうと必死だったのだ。

 だからロベルタ先生からの質問は、当時のわたしにはとても難しく感じられた。けれど同時に、今まで誰からも聞いたことがない、新鮮な発想だった。

* * *

 演ずることから遠く離れてしまった今も、ふとした時に彼女の言葉を思い出す。
 それは、(ちょっと大げさに言うと)人生を左右しそうな『大きな選択』を前にした時や、「今日は何を食べようかな?」といった日々の小さな選択など、様々なシチュエーションで思い出す。
 そんな時はいつも、わたしの頭上に『What's My NEED?』という漫画のような吹き出し口が飛び出すのだ。

 そんなふうに日々の中で自分の『欲求(NEED)』を大切にしていても、歳をとるごとに自分自身を説得するのも巧くなっていく。

 欲求というものは時として簡単に理性に追いやられてしまうからだ。
 ベタな行動や安パイな選択は、社会人としてもちろん必要だと思うし、「それが『大人になる』ということなのだよ!」と言われてしまえばそれまでだろう。
 けれど、今わたしが敢えて着目し、大切にしたいと思うのは、感覚的で直感的で本質的な『欲求(NEED)』を、子どものようにスコン!と体現できるピュアさだ。


 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ