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2011/06/30

2 7

落ち込むことが多い週だった。

迷いや恐れがたくさんあって、身動きがとれなくなっていた。

だけどいろいろノートに書いてみたら、
自分の中の健やかさが少しずつ戻ってきて、背筋がしゃんとした。
友人たちへのありがとうメッセージも書けた。

よかった、よかった。

明日から、また、しゃんとしていこう。
27歳になったから。 

ありがとう。
やさしくなりたい。

2011/06/13

暗闇にあるやさしい



《 ゆっくりとでもいいから 》


 わたしよりも四学年ほど歳上の、その人の存在を知ったのは二年前だった。

 きっかけは何であったろうか。忘れてしまった。気がつけば存在を知っていた。
 存在を知ってから今日までの二年間あまり、その人のことがじわりじわりと気になっていき、わたしはどうして気になるのか理由を探ろうとした。
 理由は なかなか見いだせなかった。いや、敢えて見いださなかったのかもしれない。
 その人は、その時すでに有名になっているおもしろい文章を書く才能あふれる変な人だったけれど、その人への興味にまかせて「気になる理由」を探ることをわたしはしなかった。それは、単に尻込みだったと思う。

 1.あの人について 急いで探らない方がいい
 2.ミーハーめいた好奇心でおわりたくない
 3.わたしに潜む独占欲で窒息してしまうかもしれない

 そう自分をなだめようとして、その人への探求におけるわたしの足の運びは減速し、わたしの探究心は過ぎていく二年間の日常にたびたび埋没した。
 そして六月の今日。近頃また頻繁にその人のことを考えていた折に、わかったことがあった。『気になる理由』の正体がなんとなくわかったような気でいるのだ。
 その人の、ものごとへの感受に共鳴したのかもしれなかった。もしくは日々の小さな幸せに心を潤しながらも、いつもどこか存在意義への不安を抱えているようなその人の筆舌から、目を逸らすことができなかったのかもしれない。
 その人の文章の端々から漂ってくる、真っ暗な闇。自分でそれを恐れながらも、虫たちが甘い花の香りに誘われるように、自ら暗闇にすり寄っていくようなその人の姿を、わたしは今の自分に重ねて見ていたのだとわかったのだ。
 
 《暗闇はとても恐ろしいけれど、夕暮れよりは哀しくない》

 そんなあの人のビジョンに、わたしも溶け合ってしまったのだ。
 暗闇がもたらす小さな孤独は、自分の存在感を確かめるための、かすかな癒しのように思えることもあった。現実逃避した甘い考えは、自堕落な日々の中ではすぐに解消できるものでもなく、また、本当は解消したいわけでもないような気もする。気がつくと、ボンヤリとこの考えが頭をもたげ、それに身を任せてしまっている。
 暗闇がなくならないなら、うまく付き合っていければいいかもしれない。折にふれて暗闇に挨拶をし、年賀状を出したりお中元にハムを送れば、暗闇ともうまく付き合っていけるかもしれない。たとえば友達と大笑いをした日や、公園でひなたぼっこした日、自転車でぴゅーんと飛ぶように走った日や、忙しく働いている日々の中では、暗闇は、なりを潜める。けれど、本質的に暗闇を呼び寄せ易い体質であれば、完全に手をきることはできないような気がする。


 「誰かに話して どうにかしたいな」

 「このまま一人で暗闇をのぞいていたら 辛抱たまらないや」

 夜の帰り道では、時々そんな気持ちになるけれど、実生活で対面した友人に『わたしの”暗闇ちゃん”のこと、ちょっと聞いてちょうだいよ』などと打ち明けたならば、その友人の幸福な生活に、わたしの悪循環を伝染させてしまうだろう。そしてもちろん、それはしたくはない。同じような 『体質』 の人に出逢った場合はどうだろう。やっぱり、暗闇のことは話題にしたくないような気がする。暗闇はお茶の間のエンターテイメントではないから、ワイワイみんなで共感しあうのは違う気がする。しかも、本当に暗闇を持っている人なら、相手の眼を見ればわかるような気がする。

 《君もなんだね》

 わたしが気になってたまらないあの人は、自らの暗闇を随筆というものに置きかえていたから、実際に眼を見なくても分かった。彼の随筆は、とても繊細で丁寧な文章によって訥々と書かれていた。しかも、高級なゼリー菓子が薄いオブラートにくるまれているように、一見すると彼の暗闇そのものは見えなかった。けれど、時々そのオブラートが物哀しい夕暮れのように輝いて、いちばん奥にある暗闇が透けて見えていた。
 あの人が綴ってきた文章を読むたびに、わたしはちょっぴり涙をにじませながら、彼への興味を膨ませてきたのだろう。彼の感受への共感と、正体不明の暗闇を背負いながらわたしの数倍ストイックに歩み続けてきた姿への敬意。そして、なんと言っても嫉妬だ。四学年歳上のその人は、今のわたしの年齢よりもずっと早くに自分自身の暗闇との対話をはじめていたのである。おかしな話しだが、この事実にわたしは嫉妬したのだ。そんなにも早く、こんなにも長く、そんなにも粘り強く、暗闇をじっと見つめながら、ひとり随筆を書いてきたのだ。

 わたしは今夜、今日まで自分が通ってきた道を振り返り、考えている。

「あらためてみると、なんだか色々とあったもんだ」

 そこには、訳も分からず我武者らであった、過去の自分に対する赤面をふくんだ愛おしさもあれば、人間関係において傷つくのを恐れ、逃げ出し、一時の心の猶予を確保しようとした姑息な自分自身への残念な気持ちもある。
 そして今夜もまた、わたしは幾人かのひとを傷つけたまま、自分を守って無理矢理眠りにつこうと必死なのだ。眠りにつこうと必死なのだ。

 《一度犯したあやまちは 消えないぜ》

 人を傷つけてしまった自分には、深い烙印が刻まれてしまった。

 《お前はこれからも 同じことをするぜ》

 もう、この傷は消えないとしても、わたしにもまだ、できることはあるのだろうか。
 わたしは恐れている。謝ることで許しを得ようとしている自分の下心が恐ろしいのだ。いつから、こうなってしまったのだろう。人を傷つけてしまったままの自分は、今夜も必死に眠りにつこうとしている。

 「明日こそ言うんだ」

 そのうち、本当に眠気はやってくる。眠りの中に暗転するその瞬間わたしは自分に囁かれる微かな声をまた聞いてしまう。

 《眠ってしまえば こっちのもんさ》

気のせいか?

 《さあ忘れましょう 哀しいことは忘れちゃいましょう》

 暗転ー。

 朝になり、また懺悔する一日がはじまる。



***


 今夜、気になるあの人の文章を読み返していた。ちょうど今のわたしと同じ年齢に書かれた執筆物だった。
 打ちのめされた。打ちのめされてわたしは前方につんのめり、板の間の床に付いた自分の額をズリズリ擦りながら、心のなかで何度も呟いている。

「やさしくなりたい」

「やさしくなりたい」

「くるしくても、かなしくても、やさしくなりたい」

2011/06/08

顔をとりもどす切符

 まずい、顔を忘れてしまった。

 困った状態が続くと、人それぞれ食欲減退や不眠など色々な症状が出るだろう。
 わたしの場合はと言えば、自分がどんな顔をしていたのか忘れてしまうという症状が出る。もともと視力が悪いのに、困った状態の時はいつにもまして鏡を見ないからだろう。

 《いや、そんな理由ではない》

 顔を洗う時も、歯を磨く時も、鏡の前に立っているし、鏡の中に映る自分とは目が合っているような気がする。しかしそれでも顔が思い出せないのだ。ただ、なんとなしに「忘れちゃった」という感じなのだ。

 そんな困った状態が始まってから、そろそろひと月が経ってしまった。「こんな状態も時々はいいかな」なんて考えが頭をよぎることもあるが、経験上この状態がこれ以上長引くと、健康や生活に著しく害を及ぼすことを、わたしは知っている。

 《いい加減、顔をとりもどしたいものだ》

 そろそろ重い腰を上げなければならない。明日は電車に乗って、鏡を見にいこう。

2011/06/07

泣いたりなんだり

 好きだと思う人を、好きだと言うことができないとか、なんとか。

 気がつくとまた夜になっていた。今日もまた、思考ばかりが変化を欲しがり行動は伴わない一日だった。いや、長いこと眠ってしまったから、一日ではなく三分の一日くらいだったかもしれない。
 鬱々とする気持ちから、わたしはいつもなかなか脱出することができない。困ったことに『脱出出来ないこと』を望んでいるようなふしもある。
 こういう時の自分に起きる変化の定番は、音楽が聴けなくなる状態だ。
 音楽は大概において自分の中に流れるリズムを刺激して、高揚感や躍動感、センチメンタルには映画的な演出を加えてくれる。けれど、鬱々が過ぎた時は別だ。わたしの身体には細い管が血管のように通っていて、平時はそこに音楽やら映画やら感性を基盤とした美しいものが色々とチョロチョロ流れているのだが、近頃はその管の”とおり”が悪くなっている。まるで不健康な人間の血液の ように感性がドロドロになっているのだ。

 今日と言う三分の一日は、ほとんどの時間を公園のベンチに座って、鳩を眺めてすごした。
 なぜかその公園にいる鳩は、つがいのように二羽がペアになって行動していて、わたしの周りを始終ウロウロしていた。その鳩は、異常に姿勢が悪い前傾な奴と、異様に姿勢の良い足早な奴のペアだった。鳩にも姿勢が悪いとかあるんだなと思って暫く見ていると、気がつけばその鳩の顔はわたしになっていた。
 姿勢が悪くヨロヨロしている方のわたしの顔した鳩が、姿勢良く足早で堂々としている わたしの顔をした鳩に追いかけ回されていた。それも、本体であるベンチに座ったわたしの足元でだ。
 日も暮れはじめ、肌寒くなってきたので、空想にふけるのをやめて公園をあとにした。

 お腹がすいたような気がしたので、近所のファストフード店に自転車で向かった。
 中学時代の同級生がレジにいないかどうかコッソリ確認し、いないと分かると店に入って注文をした。この店は休日や昼間は客足が途絶えないようだが、平日の夜はお客も少なく閑散としているので居心地が良く、おまけに24時間営業なので、眠れない深夜に訪れることもしばしばだった。
 今夜は幸運なことに、いつも座る窓際の席があいていたので、早速わたしは定位置に座った。店内はほどよく暖かく、公園のベンチに長時間座っていたことで、思った以上にわたしの足首は冷えきっていたのだと気がついた。
 そして冷めないうちに食べなければと思い、早速ハンバーガーの包み紙を丁寧な動作で四方にめくり一口かじったが、その時になって、別段腹はすいていなかったことに気がついた。おまけにファストフードのような脂っこい食べ物など、まったく食べたくなかったようだ。ただ寒さが凌げて読書でも出来るような場所に非難したかっただけ、それだけだったのだ。
 そんなことも分からない自分が、とても残念に思えた。本来650円も、支払わなくてもよいお金だったのだ。しかし、時間と言うものは巻き戻すことができないらしい。
  わたしは食べはじめたばかりのハンバーガーの包み紙を、また丁寧に四方から順に元に戻し、まるで買ったばかりの新しいハンバーガーのように包み直すと、それをプラスチックのトレイに置いた。
 食事をあきらめて、読もうと思って持ってきた新潮文庫の芥川龍之介『杜子春』を開いたが、なぜか読書も進まなくなってしまった。
  わたしが座った席の横には、近所のゴシップを小さい声で囁き合う二人連れの主婦がいて、すこし離れたボックス席には無言で勉強を続ける2人の女学生がいるのが見えた。
  わたしは注文したセットメニューを食べきることができず、本を読むこともできないまま、店を出た。外に出ると街はすっかり夜になっていた。
 帰り道、 わたしの自転車のライトはなぜか付かなくなっていた。「先日の台風の雨で壊れてしまったのかもしれないな」と思った。

 家に帰ってきて、今夜はサッカー日本代表の試合があったことを知った。見逃してしまったと取り残されたような気持ちになったが、どうやら時間と言うものは巻き戻すことができないらしい。
 自室に入り、思い出したように携帯電話のメールを確認すると、姉から連絡がきていた。父の誕生日プレゼントの件だった。姉と2人でお金を出し合って、父にiPadをプレゼントをしようと相談していて、先月のうちに、わたしがプレゼントを用意しておかなければならなかった。けれど、わたしはまだ手配をしていなかった。公園で鳩をみている暇はあったのに、大切な用事は理想通りに進めることができず、今日まで時間が過ぎてしまったのだ。
  わたしは言い逃げるようにメールで姉に謝ると、ひとしきり声を殺して泣いた。悔しさや情けなさが一気に体中を駆け巡っていくようだった。しかし、どうやら時間と言うものは巻き戻すことができないらしい。

 中学生の時は、好きだった男の子に想いを伝えることができないまま卒業を迎えてしまった。今は好きだと思う人のことを好きだと気がつく前に、その人が遠くに行ってしまった。
 今日は鳩を見たり、ハンバーガーが食べたくなかったり、本が読めなくなったり、泣いたりなんだりだ。

2011/06/06

濡れ鼠のはなし

 突然の豪雨。

 今夜は傘を持っていなかった。
 隣の声もよく聞こえないほどの大雨だったので、駅で雨宿りすることにした。暫くしてふと気がついたことがあり、わたしは激しい雨の中歩いて帰ることにした。

 「雨に濡れるからと言ってどうだと言うのだろう」

 ずぶ濡れになったところで、今のわたしが脅威に感じることは何かあるだろうか。おセンチが過ぎるようだが、実際、特になかった。
 いま考えれば、いくつかの精密機器は壊れてしまう可能性もあったし、おまけに、わたしが住む街に降る雨は、悪い煙をたくさん吸い上げた都心の空の『お隣りさん』なので、成分的にそんなにきれいなものじゃないのだろうが、今夜はそんなこともどうでも良かったのだ。
 わたしは生まれてこの方、雨に濡れて風邪をひいたような経験もないし、幸か不幸か、今夜は眼鏡じゃなくたまたまコンタクトレンズだった。だから、一時間前のわたしは、とにかく帰ることにした。雨宿りをする人の群れから抜け出して、大雨の騒音の中を家まで歩きはじめることにした。

 小学4年以来の正真正銘、濡れ鼠。あの時も台風の季節だったような気がする。
 傘の骨をバッとやって、逆さ傘にして、雨水を溜めたり。脱いだ通学帽をバケツ代わりにして、下校仲間の友人に雨をかけてふざけたりしたものだ。
 今夜のわたしはといえば「水はこんなに重たいんだなあ」とか、「服のまま海に落ちた時は こんな感じだったなあ」とか、至って単純な感想をいだきながら、身につけていた布という布がピタピタと身体にまとわりついた無様な格好で、大雨の夜道を歩いた。
 いつもの帰り道よりも時間をかけて、ゆっくりゆっくり歩いて帰った。
 
 これといってドラマチックな感傷はなかった。スニーカーが水を含んでガッポンガッポン話していただけ。
 これといって物語も生まれなかった。パーマをかけたわたしの髪がラーメンのようにただ縮れたというだけ。
 ただ大雨の中、馬鹿みたいに濡れて帰ったというだけの話。家に帰りついたわたしは、玄関先で黙って身体の雨を拭い、そのまま風呂に入った。

 さっきまで遅い夕飯を食べていた。そしてこれを書き終えたら、今夜も眠ろうと思っている。

2011/06/05

スタイルを心に留める為のメモ



まず大前提に、
億劫でさへある『感覚の言語化』から逃げないこと

息をひそめて立ち止まり感覚を慎重にとらえること



次に、
言語化して生まれたあらゆる定義が『本質的に透明』であること

選んだ言葉たちが『しっくりくるルール』に沿った語感であること



さらに、
紡ぎだされた物語を『せかさない』こと

終着地点をつねに意識しつつ急がないこと



そして、
『研ぎ澄まされた視点』があること

薄ぼんやりとしながらしかし印象的な視点があること

2011/06/04

{ Music } The Black Cab Sessions


Lianne La Havas


The Black Cab Sessionsを知ってますか?

ロンドンのタクシー(ブラックキャブ)の中で有名ミュージシャンが、生演奏をするというシンプルな企画です。チープになってしまいそうな企画なのに、どっこい。実際に街の中を走るタクシーの中という映像に臨場感があり、ハイビジョンで音質もクリア、すごく貴重な演奏を一緒に車内で体験しているような贅沢感があります。ライヴってこんな形もあるんだな。
今日ピックアップしたのは、現在公開されている企画の中でも、特に素晴らしい演奏だと思った、Lianne La Havas(リアン・ラ・ハヴァスの一曲をどうぞ。

ちなみに、タクシーの運転手は演奏が行われることを知らずに、ミュージシャンとスタッフはぶっつけで乗り込んでくるんだって!わーお。




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コリン・ファースの膝の上

 夢にコリン・ファースが出てきた。

 彼はとても優しく、なぜかわたしのことを好いてくれたようだった。そして、わたしは彼から求婚される。しかし、わたしの周囲の仲間からは彼との結婚を反対されてしまう、どうしてあいつなんだと反対されてしまう。そして周囲の仲間に彼から遠ざけるように連れられたわたしは、夜の街からもれる街頭の灯りで水面がキラキラと光る河の畔に逃げた。あれは、たぶんセーヌ川だったのだとおもう。『ボーイミーツガール』で観たやつか、『恋人たちのディスタンス』で観た、あのセーヌ川だったとおもう。
 そこへ彼が現れて、こう言った。

 《 僕と一緒にいようよ君と一緒にいたいんだ 》

 わたしは再び彼から愛を告げられた。
 周囲の仲間はやっぱり止めた、わたしをひき止めた。けれど、セーヌ川の畔にいるわたしは、その時すでに彼の優しいところに気がついていたようで、仲間の声を無視してそっと彼に近づき、彼がこぼす次の言葉をじっと待った。
 彼もわたしの目をじっと見た。そして、余命一ヶ月なのだとわたしに告げたあと、こう言った。だからその日がくるまで君と一緒にいたいんだ、と。
 わたしは突然、胸がギューと痛くなり涙が溢れてきた。そして、彼への好意が愛情へとかわる音を自分の体内から聞いた。炭酸水の泡がグラスではじけるようなどこまでも透明な音が、聞こえた。
 わたしは彼の膝の上に顔を埋めて泣いた。彼の膝は暖かくて、触れ合った身体は想像していたよりも大きく感じた。わたしはどこか、彼を「貧弱だ」って思っていたようだった。
 彼の体温から感じられる暖かい愛情が心地良く、わたしは眠りにつく寸前のような重力のない幸せに満たされていた。だけど、時がくればわたしたちも離れ離れになってしまうのだという未来への哀しみが、乾いた布にじわじわ染みていく水のように、わたしの心を浸食してくる気配を感じて、泣いた。

 そんな夢をみた。
 なぜ、コリン・ファースが登場したのかわからない。それでも起きた時、わたしは夢のままに泣いていて、布団の上でしばらく泣いたまま宙を見ていた。
 なんだかよくわからない夢だけど、妙に幸せだったから、書き残しておこう。

2011/06/03

好奇心が走れと言ふ

好奇心は疲れる奴。止まってくれぬ。

そのうち「もっとだ」煽られる。
飽きられぬやうに走らねばならぬ。
奴は気分屋なので或る。

私は疾走す。
「走れ走れ」と疾走す。

安堵。「止まりだ」走り切った。

顔を上げれば、過ぎた景色。正に残像で或る。

思い出せぬ。
思い出せぬ。

始めから 独り歩かねばならぬ。

2011/06/02

” 私 ” がもたらす透明感

小説の男性主人公による主語、 『私』について。


『俺』 や、『僕』 に該当する主語は持ち合わせているが、

『私』 という主語がまとう、

静かな雰囲気に該当する言葉がないところが

女性主人公による物語の透明感のなさだと思う。

ホットケーキからの考察

ふと、ホットケーキが食べたいと思った。
バターとメープルシロップをかけた湯気の上がる熱々のやつだ。

”思っただけ” にするか、
粉と牛乳を買い求め、家に帰り台所に立ち、
ボウルを出し、材料をかき混ぜ、
フライパンをコンロで温めて、うっすら油を馴染ませ、
焼き、そして食すか。

すべての物事は、常にするかしないかで決まる。