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2011/07/08

James Blake 死んでない音楽家

《 Dubstepの神童 》

 James Blakeの音楽を、ようやく聴いた。



 雑誌で彼のアートワークを見てから、一体どれくらいの時間がたっただろう。

 早く聴かなくちゃと思っていたのにずいぶんと遅くなってしまった。

 その間、わたしはがむしゃらに労働をし、寒い冬を越えた。衣食住や友人たちからピュアなパワーもらい、それを自分にドーピングして、なんとか春を越えようと思っていた。
 春が来る前には、日本に、とても悲しい出来事も起きた。

 そしてわたしは梅雨が来る前に疲れ果てていた。なんとか倒れないように笑っていたし、それはもう、たくさん笑っていたと思う。しかし結果的に前のめりに倒れ込んでしまった。立ち上がろうと必死にもがいたけれど、倒れ込んだままベッドの中に沈み込んでしまったのだ。泥に足をとられたように、無駄なあがきはわたしの心の体力を奪うだけだった。そしてそのままどんなに力を入れても立ち上がることはできず、笑うことも出来なかった。
 そして仕事を辞めた。
 思い返すと、あれからなんだか長い時間が経ってしまったような気がするが、本当はまだ2ヶ月しか経っていない。


 James Blakeの音楽を一昨日の晩やっと聴いた。
 そして、「もうなんだか完璧にまいっちゃったな」という気分になった。
 世界中の耳の早い音楽ファンが彼の音楽を見つけて徐々にすり寄っていく様子を、わたしは数ヶ月前からなんとなく感じていた。James Blakeの噂が拡がっていく様子は、まるで映画『OZ』(オズ)に登場するケシの花畑が目の前に拡がっていくようだった。どこか彼岸の風景のような彼の音楽に足を踏み入れた人たちは、そこから帰れなくなってしまうのだ。多くの人の琴線を撫でていく音楽をつくる彼には、どんな自覚があるのだろう。今はまだ情報が少な過ぎて、わたしは彼について想像することしか出来ないでいる。

 そもそもどんな音楽家なのだろうか。どこで生まれどこで育ったのかもよく知らない。彼についてもっと調べた方がいいかもしれない、英語の記事をたくさん読んだ方が良いかもしれない。けれどすっかり腰が重くなってしまったここ2ヶ月のわたしには、誰かの人生を調べるということが、ひどく面倒くさいことにしか思えない。だから今はまだ、James Blakeのことを想像するだけにしてしまっている。
 彼の音楽を通して感じるのは、若さや純潔さ、綺麗なものや心地よいもの、愛着への安心感や、忘れたはずだった記憶などだ。ちょっと曖昧すぎるだろうか。いや、そんなことはない。彼はまるで清廉潔白な魔法の世界の妖精のように見える。彼を覆い隠す非現実的なアーティストイメージは周囲の人間によって作られたブランディングイメージなのだろうか。それとも、彼自身が真にそんな雰囲気の人間なのだろうか。彼の処女性の正体はなんだ?

 色々思うことはあるにせよ、彼の音楽はとても素晴らしいと思った。それはJames Blakeの作り出す音楽の核心部に、まぎれもないイノセントが存在していると感じたから、素晴らしいと言い切れる。テクニカルのことはわたしにはよくわからない。そしてジャンル的な住み分けができるほど、こういったエレクトロミュージックの系譜には疎い。
 しかしながら、わたしは今後も彼の音楽にどっぷり浸かってしまうことになるかもしれない。妙な親近感と、妙な親密さと、妙な予感がするのだ。彼の音楽に潜んだ静かな生命力には、曇りの日の朝に見る、微かな空の明るさを思い出す。
 けれど、わたしの知り合いは彼の音楽のことを『死にたくなる音楽』だと表現していた。なぜだろう。わたしにとってみれば、まだまだ希望にみちた音楽に聴こえる。そもそもJames Blakeの音楽に生と死などの概念はあるのだろうか。同時に、『死にたくなる音楽』とか『暗い曲』とかいう表現を使う人たちに対して、わたしはいつもナンセンスだなと感じる。
 例えばJames Blakeの音楽に死という意味づけをしてその重力を計ろうとすることは、実態のない幽霊を捕まえてヘルスメーターで体重を計ろうとしているのと同じくらいまともな発想とは思えない。
 そして、死にたくなる音楽とはなんだろう。この表現は今までもよく聞いてきたが、わたしはその真意が未だにわからないでいる。だって死にたくなる人と幽霊は別のものだ。人は死んでから幽霊になるのであって、死にたくなっている過程ではまだ幽霊ではないのだから。もしかしたら彼らは『魂が抜けてしまいそうな』ということが言いたいのだろうか。それならばわたしにも少しわかる。James Blakeの音楽を聴いていた時、わたしは貧血をおこしたからだ。視界が狭くなっていく間隔と、彼の音楽が醸し出す雰囲気はどことなく似ているような気もする。

 心を揺さぶられ、自分の日常におけるものごとの感触にまで影響を及ぼすような、そんな良い感性を持った音楽に、わたしはこれまで何度か出逢ってきた。けれどそういった音楽家の中にはもうこの世にいない者も多い。例えば、残念ながらラフマニノフは故人である。
 素晴らしい輝きを魅せて死んでいった音楽家たちの人生は、現在ではwikipediaにおさまるくらいコンパクトにまとめられ、楽曲の変遷もグラフを分析するように見てとることができるようになっている。それは素早い知識の吸収のためにはとても便利だろう。しかし一方で、ひどくやりきれない気持ちになることがある。というよりも、退屈なのかもしれない。
 素晴らしい音楽が、まるで味気ない音楽資料の紙ペラやインターネットの電子記号になってしまったような虚しさを感じているのだと思う。
 その反面で、すでに死んでしまった音楽家たちには、予期せぬ方向へわたしの日常を操縦してしまうような危険がないから安心でもある。死んだ人間のことだから、大抵の発言や行動も石碑を見るように落ち着いた気持ちで眺めることができるのだ。過ぎ去った時代に想いを馳せ、かつて輝きを放った彼らの才能に対して感動はするものの、わたしは彼らに対してもう嫉妬しなくても良いことに安堵している。

 そんなくだらない安全圏の線引きだけを頼りに、ここ2ヶ月の自分、いや数年前から弱り始めていたわたしの心は守られているのだろう。ぬるま湯につかって傍観者を気取るのはなんと楽チンで心地良いのだと目を細めてしまう。わたしはもう、表現者のサークルから逃げ出したのだから。わたしはもう何でもない、ただのわたしだ。何も語ることもないし、何もつくりだせることもない。だから偉大な音楽家の前でだって堂々と無関心を装うこともやってのけてしまうのだ。とても簡単な心理だ。偉大な音楽が死んでいたら、もうプレッシャーを感じることもおべっかをつかうこともないのだ。
 わたしは今はもう自由だ。わたしは今はもう全てやめたのだから。
 後悔してるかって?そんなことを聞いてくれる相手もいないから、その答えもない。

 しかしJames Blakeは生きている音楽家だ。しかもわたしよりも歳下だから、これからもたくさん彼の音楽を生み出すのだろう。
 どうしてこんなにもわたしは、彼の音楽で動揺したり癒されたするのだろうと今夜考えていた。そしておそらくその全体像がわたしにとっての映画に近いんだということが解って、納得した。

James Blake Official >>  http://jamesblakemusic.com/

2011/07/07

1984年の『ボーイ・ミーツ・ガール』とわたし


 《 BOY MEETS GIRL / Leos Carax (1984) 》


 レオス・カラックスが、新作長編映画を撮るとか撮らないとか。


 ドニ・ラヴァンも、やっぱりでるのか?とか、

 ジュリエット・ビノシュも、でるの?とか、でないとか。

 日本の東京で撮るの?とか、撮らないとか。

 どれもこれも、噂とか、本当とか。






 映画に限らず、”物語り”という括りの中で、わたしにとってもっとも大切な作品はレオス・カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』かもしれない。


 初めて見たのは18か19歳の時。地元のレンタルビデオ店で借りたと思う。当時のわたしは、レオス・カラックスのことも知らないしフランス映画もそう多くは見たことがなかった。あれは映像の専門学校に通い出した頃だったろうか。もしかしたら、まだ高校生だったかもしれない。


  《 すべてが愛おしい 》


  《 苦しくなるほど、愛おしいのだ 





 映画のストーリーはとても簡単で、「男の子が女の子に出逢って 恋をする」という、ただそれだけ。現代映画なのに全編モノクロームだった。わたしにとってのラヴストーリーの原風景は、白と黒と夜の街になってしまった。



 《 少年は少女に会う 》


 《 少年は少女を失う 》


 《 少年は再び少女に会う 》


 
 少年は再びー 


 わたしは1984年に生まれて、『ボーイミーツガール』は1984年フランスで公開された。



2011/07/05

愛おしき透明と文芸誌

 一年前の夏に出版された文芸誌『新潮』で、昨夜はたくさん泣いた。

 10代の頃のわたしにとって、宿り木のような存在だった作家さんの新作短編を、だいぶ遅ればせながらではあるが、ようやく読んだのだ。
 その短編が宿す奇跡的な純度は、たとえば、理由もなくただ時間と共に会わなくなってしまった学生時代の旧友と再会してみたら、「こちらが夢みていたとおり、変わらないあの頃のままのキミでいてくれたのね」みたいな、感謝と感動に満ちたものだった。
 おまけに、10代の頃の初々しい魂をもったわたしの亡霊が、物語の行間から顔を覗かせるものだから、わたしは何度も柔らかい眩暈に襲われてしまい、読了の段に至っては心の筋肉細胞の隅々まで熱を帯びて、布団からピクリとも起き上がれないほどに消耗しきってしまった。
 腹ペコのまま放置していたら、気がつかないうちにポッカリ穴があいていて、最近では何度も渇いて干からびそうになっていた心の水源に、砂時計の中身みたいに軽ろやかな形状をした癒しの粒子がキラキラと降ってきてくれたものだから、使えなくなりそうだった感性の胃袋にもタンパク質のような役割の栄養がいきわたり、血流をドクドク言わせながら《腹減ったぞ》と胃袋が再び動き出した、みたいな野生的な感覚になった。

 連続的な轟音をガナリ立てながら、止まることなく回り続けている社会のエンジンペースというのは、哀しいかな、やはり必要な馬力として確かに存在しているのだろう。けれど、そこに相入れない自分を無理矢理に合わせて、ハリボテ仕様でなんとか頑張ろうとしていたわたしは、たぶん間違っていたのだと思う。
 『人ができることは自分もできなくちゃ駄目』と考えてしまう意地汚いプライドをなかなか脱ぎきれないわたしは、そのプライドでドーピングするようになんとかエンジンを回していた。そしてそのオーバードーズとオーバーヒートに自分で気がついた時にはもう、かなり自分自身の限界を突破し本来の生命リズムを大きく乱してから、時間が経過してしまっていた。
 「ダダダダダダダダダダダダダダ」という暴力的な音をたてる社会のエンジン音に、心が撃ち砕かれてしまう一歩手前だったのかもしれない。大げさなようだけれど、たぶん、『日々をいかにして心地よく過ごし、どれだけ優しい気持ちを人と交換できるか』は、わたしの生活にも労働にも、必要不可欠な絶対要素なのだ。
 ともあれ、エンジン音に完全にやられてしまう前に、なんとか轟音の衝撃をやり過ごし、完全に駄目になってしまう前に家にたどり着けたのだと思う。だから今日、こうして、自分を振り返ることもできるのだろう。
 夏の重量感ある大気がムワリと入り込みはじめた蒸し暑い自分の部屋で、汗をたらたら首に光らせながら姿勢を正して机に向かい、ノートパソコンの黒いキーボードを軽快な音をたてて叩いているわたしは、さながらジャズピアニストのようで、ちょっと上機嫌だ。『言葉の奏で』 のリズムを即興的にとらえながら、自由自在に文章世界を飛び回り、ある種の秩序のなか、今日のこの日記を肩の力を抜いて書いている。
 自分の弱さ故に色々なものから逃れてきたことを、長いこと攻めてばかりいたけれど、そこにはきっと本当に必要な幾ばくかの自己防衛本能もあったのかもしれない。それに、「頭ごなしに自分の欠点を否定するだけじゃなくて、少しは弱さの出所を見つめる手助けをしてやらないと」と思った。自分で自分の心のありどころがわかっていないと、また同じプライドドーピングをして、苦しい思いをする可能性だって充分あるからだ。

 久々に再会したのは、その作家や作家の世界観ではなくて、その世界の住人だった頃の過去の自分自身だったのかもしれない。そして、それはきっと亡霊なんかじゃなくて、もうすこし実際的な存在感のあるものだったのだろう。
一年分の汚れをまとった図書館の文芸誌が、現在のわたしに対して何かとても重要なメッセージを伝えようとしてくれたような気がする。今回この短編を読んでいる間ずっと、10代の頃のわたしがとても大切にしていた、秘密めいた愛おしい情景が次々よみがえり、そっと触れてみると相変わらずの透明がそこにあって、妙に泣けた。

2011/07/03

傘とワインとメローイエロー

 「ちょっとヘンテコだけど機能美がある、というのをあげたかったんですよね」

 そう言って、ある女の子が黄色い傘をくれた。
 わたしは一年前から、週に一度、日曜日だけコーヒー屋でアルバイトをしていて、彼女とはそこで出逢った。

 わたしよりも二学年歳下の彼女は、高校卒業後に宝飾の道に進み、現在もアルバイトと平行してシルバーアクセサリーをつくっては、年に何度か仲間と合同個展をしているらしい。加えて言うとデルフト・ブルー色のドルチェ&ガッバーナの眼鏡をかけていて、美容師と話すのが嫌だからという理由で、もう2年も髪を伸ばし続けているような子だ。 ブーツカットのデニムを愛用している西海岸のちょっとダサ目のカルフォルニアガールのような佇まいの彼女は、生真面目な劇団員のようにハキハキと喋る。そして、週に一度しか働きに来ないわたしを、妙に慕ってくれているのだ。
 それにしても、わたしは誕生日のことをアルバイト先で話した覚えがないから、不思議だ。彼女はどうやって知ったのだろう。もらった傘は一面にコラージュのようなイラストが絵描かれている、山田秀寿さんというアーティストのデザイン傘だった。

「黄色を選んだのには、理由、あるんです」

 彼女からは、なにやら意味深なことを言われた。けれど、敢えてその意味をきかないでおいた。おそらくその言葉には、彼女なりのヤワヤワとした優しい気持ちがこめられていたので、わたしはその色や香りを深く詮索せずに、調度良いあんばいで曖昧ふぅわりとさせておこうと思ったのだ。
 OFESSという香港の新鋭ブランドの物らしいその傘には、『ENJOY RAINY DAYS』というコンセプトがゴシック体の太い英字で印刷されていた。

 あるお休みの日に彼女がどこかへ出かけ、その帰り道、駅の近くのデパートに立ち寄り、わたしのことを思い出し、ありとあらゆる品々が陳列されたおもちゃ屋や文房具店を物色しながら、プレゼントを選んでくれたのだろう。もしかしたら、ユニクロにも立ち寄ったかもしれないし、食器を扱うお店を覗いたかもしれない。その光景を思い浮かべると、とてもうれしい気持ちになった。できることなら、デパートの売り場をうろうろする過去の時間の中にいる彼女を見つけて、もう一度ありがとうを言いたいなと思ったりした。

 彼女もわたしも同じ六月生まれなので、雨の日を楽しめる何かをお返しするのはどうだろう。

2011/07/02

おちつく水

《 W A T E R 》



 わたしの髪は、とにかく毎朝ボサボサとしている。

 今朝も例にもれず、髪という髪の束が四方八方に跳ねとんでいたし(髪が宙で揺れるのを頭皮で感じられるほどには跳ねとんでいた)まだもう少し寝ていたいという誘惑もあったのだけれど、昨日から土曜日の朝は一度で起きようと決めていたので鳥の巣頭を揺らしながら、とにかく一日をはじめようと、まずは小学生の頃からなじみの視力の悪い視界をクリアにするため春に買ったばかりの眼鏡をかけた。

 チャコールグレーと透明のプラスチックで縞模様になっているこのヘンテコな眼鏡を、わたしは結構気にいっている。一見すると黒ぶち眼鏡のようだが、近づくと案外色合いがかろやかなところが薄い顔立ちのわたしには丁度良いだろうという点が気に入っているのだ。

 枕元に脱いだままになっていた眼鏡をかけると、鼻あての部分に昨日の汗と皮膚の油がうっすらと残っていたようで、寝起きのおぼつかない所作でかけた一回目は鼻筋をずるずるとすべってしまい、フィットする位置におくことができなかった。おまけにわたしの鼻は野菜のニンニクやラッキョウのような形をしているので、目と目の間にある”鼻のはじまり”が甚だしく低く、普段から眼鏡を最良の位置に留めることが困難だったので、皮膚の油と合わさっていつまでもモタモタと眼鏡の位置をなおす羽目になってしまった。

 昨夜イメージしていた起床とは裏腹なスマートさに欠ける一日のはじまりとなった。

 ともあれ、眼鏡は良好な視界をくれた。そしてギシギシと音をたてながらあらゆる関節を稼働させ、ものの数秒で夏用の布団を畳める身体にととのえ、わたしはようやく布団から起きだした。まだ眠りの気配がもったりと残る自分の部屋には、もうすぐ午前の時間がおわるくらいの陽光が遮光カーテンの隙間から幾筋か差し込み、壁にあたって折れ曲がっていた。それをぼんやり見ていた時は、たぶん何も考えていなかったと思う。ただぼんやりと折れた陽光を見ていた。

 部屋の扉を開けリビングへと続くフローリングばりの廊下を歩き、台所で母をみつけた。スーパーのビニール袋から取り出した野菜を素早い動きで冷蔵庫へしまっていた母に、いつもよりも少し丁寧に「おはよう」といってみた。時刻は「おそよう」の頃だったけれど、まあいいかと前者を選んだ。母は「おはよう、今日も暑いよ」といった。

 次は姉に会い、ちょっと恥ずかしいような気持ちで、また、「おはよう」といった。恥ずかしかったのは、最近はまともな挨拶をしていないことをわたしは自分で知っていたからだ。いつも姉から「おはよう」を言ってもらえるのを待ってばかりだった。でももう子どもではないのだし、姉には週に一度しか会わないので、挨拶はちゃんとしなくちゃと改心することにした。ささやかではあるが、わたしにとっては確かな一歩だった。ちゃんと挨拶をすることが、すぐに健やかな生活をくれるわけではないのだろうけど、でもまあ、できることからはじめようと思ったのだ。
 ちなみにこれも、昨日に決めたことの一つだった。
 そしてすぐに父と甥っ子にむけて三回目の「おはよう」を言った。甥っ子は父に無理矢理 汗をぬぐわれて何やら叫び声をあげて逃げ回っていた。
 それから洗面所に立ち、簡単に顔を水ですすいだ。ひんやりとして気持ちよく、自分は河底の水流で磨かれた石のように新鮮だと思った。
 完璧な水流が眠気を散らしてくれた。
 一端はずした眼鏡をかけなおすと鏡に映った自分の顔がクッキリとして見えた。
 なんだか不思議だ。ほんの数日前までは自分の顔がぼんやりとしていて、よく見えなかったのに。

 去年の誕生日に友人がくれたbodum Pavinaのダブルウォールグラスに調度よくひんやり冷えたマテ茶を注ぎ、それを持ってベランダに向かうと、二歳半の甥がバケツに張った水で水遊びをしていたので、彼を眺めながら三十分ほど窓辺で涼むことにした。

 古びたコーヒー計量スプーンを遊び道具にもらったらしい彼は、バケツの水をすくってはベランダの床に撒く遊びに没頭していた。植木にも水をあげたらどうかと提案してみると、使命感を帯びた真剣な目をした甥は、何度も何度も古びたスプーンで水をすくっては植木の幹に水をかけた。土の部分には水は到達していないようだったけれど、幹にはたくさんの水の跡がつき濃い色に濡れていた。光合成の準備をするには適当かもしれないと思った。
 甥を見ながら、わたしも光合成をすることにした。

 それからすぐに昼食の時間になり蕎麦を湯でた。ネギとワサビをきかせた蕎麦はとても美味しく胃袋めがけてスルスル入ってきた。

 朝ご飯を食べていなかったので、ふいに力がみなぎってくるのを感じた。

 15時頃には駅前での用事のために自転車で出かけ、帰りにはスーパーで母のおつかいのズッキーニと絹豆腐を買った。


 家に帰ると姉がくれたAmazon図書券で買った一冊目の本の小包が届いていた。2830円の高価な本だったので小型の段ボール箱を開封する時は、肩が少しだけ上がり緊張し、カッターを握る手は汗で少し湿っているようだった。

 その本には、わたしが触りたかった物事の初動の感性がたどたどしくも活き活きと書かれてあり、良い本を買わせてもらえたことに感謝した。
 何時間か前、昼食後に、姉に「誕生日プレゼントありがとう」とわたしは改めてお礼を伝えたのだが、自分で思っていたよりもプレゼントを受け取った時の感激をうまく伝えることができなかったとおもうのは、これを書いている今も少し悔やんでいる、それでもお礼をちゃんと言えたのは良かった。

   本当はもっとたくさんのAmazon図書券をあげようかと思っていたんだけどね。

   最近は本をよく読んでいるようだし。本以外のものも、必要なものがあれば買えるでしょう?
   うん、まあでも、何を何冊読んだらどれくらいの金額になるのかは、ちゃんと計算したんだよ。

 聞けば、姉は旦那さんにも相談してくれたらしい。旦那さんはプレゼント内容を「うん、いいんじゃないかな」と言ってくれたようだ。わたしの誕生日を真ん中にしてそんな会話があったのかと想像して、こそばゆい嬉しさを感じた。

 そういえば、”何を何冊読んだら” の中身を聞くのを忘れてしまった。もしもそこに具体的な本の名前が挙げられるならば、聞いてみたいなと思う。これまでは人が薦めてくれる本を読むことをあまりしてこなかったけれど、映画や音楽と同じように本もまたそれを介在に紹介してくれた人のことを知る機会になるような気がする。普段そういったものを選ぶ時は自分ひとりぽっちなので作者と自分との間にあるのはとてもプライベートな交流ばかりなのだが、誰かが紹介してくれるものであれば、また形がかわるのだろう。
 だから次に会った時に聞くのを忘れないように、手帳にメモを書いておいた。

《メモ:どんな本か聞くこと》


 夕暮れを前に読みはじめたその本を、夕飯の時間まで読んだ。


 夕飯後、夜の最後にNHK放送でみた『グレイトネイチャー』も、とてもおもしろかった。

 海の世界に太陽の光が差し込む神秘的な映像がきれいで、変なかたちや奇抜な色合いの生物たちが泳いでいる姿もたくさん見た。
 妙に心がおちつくような感覚を覚えながら番組を見たのは、わたしにとっては意外なことだった。というのも、わたしは大人になるにつれて海や池や湖や、果ては水槽や生け簀やラッセンの絵画のような水の世界がどうも苦手になってきていて、水族館などに至っては動揺を隠すこともできず、みるみるうちに心拍数があがって胸がピリっとやぶけてしまいそうになるのだ。
 その恐怖の理由はよくわからないのだけれど、水深や、水の奥の奥に見えるぼんやりした暗い色のその奥や、水族館や生け簀や水槽などの水の入ったケースの端っこらへん、苔や得体の知れない生物がこびり付いた汚らしい影などを見ていると、なんだか居てもたってもいられないほど怖くなるのだ。だから目を背けて我慢したり、できるだけ近寄らないようにしている。ちなみに山奥に流れているような清流や滝なんかはとても好きで、居心地が良いとさへ感じる。わたし自身まだ明確な解明が出来ていないのだけど、恐怖を感じる水と好きな水に関しては何か規則性のあるルールに乗っ取った線引きがあるような気がしている。
 恐怖といっても、取り乱して叫びだしたりガタガタ震えて支離滅裂な行動に出るようなことはない。だから実生活の中では明るみに出にくく、たまにこの症状が辛いなあと思う時もある。
 発熱をおして、なんとか学校に来たものの、やっぱりすぐに限界になり、けれど早退を志願するほどの決定打はなく、おまけにこちらが体調不良なことを時々忘れて話しかけてくる友人がいる、みたいな密かに絶望的な状態と言えば伝わるだろうか。
 そんなわたしの症状に興味を持ってくれた友人に以前相談してみたことがあるが、どうも閉所恐怖症や高所恐怖症の人と似ているらしい。だから、まあ、水深恐怖症(スイシンキョウフショウ)という言葉を勝手につくって、とりあえず自分の分析をさぼることにしている。
 そんなわたしなので、海の世界をうつした『グレイトネイチャー』の水に心癒されたことは、何か今日と言う日が特別意味深い日である気がしたのだ。

 ラヴェルの『水の戯れ』を聴くことに決めたので、そろそろ眠るとしよう。