Category * 気になるラベルへどうぞ

[ ABOUT ] (1) [ ESSAY ] (30) [ ITEM ] (17) [ NOTES ] (35) [ PHOTO ] (62) [ PICK UP ] (40) [ VIDEO ] (6) [ とり食堂 ] (35) 1984 (2) Acting (6) Art (16) Bags (6) Band (1) Beastie Boys (3) Birthday (5) Black (11) Blue (16) Book (12) Bread (2) Brown (6) Cinema (13) Coffee (2) Colorful (15) Comedy (2) Dance (1) Dayoff (24) Death (5) Dinner (16) DIY (6) Dream (8) F (2) Family (21) Fashion (29) Flower (9) Food (7) Friends (19) Fruits (4) Gold (4) Green (19) Grey (1) Holiday (2) Home (16) Japanese (2) Jewellery (3) Kids (7) Library (1) LiveShow (2) Love (20) LudwigWittgenstein (1) Lunch (9) Morning (5) Music (31) Navy (1) New Year (2) New York (5) Night (18) O (7) Orange (3) Pants (2) Park (3) Pink (15) Poetry (1) Purple (2) Quotes (1) Rain (1) Reading (7) Red (18) RIce (15) Salad (3) Sandwich (2) Shoes (4) Shop (1) Skateboarding (9) Skirts (1) Soundcloud (6) Soup (2) Sports (10) Summer (2) Tableware (6) Tea (1) Theater (2) Tops (3) Traditional (5) Tv (1) Video (25) Vynal (2) White (15) Wine (3) Y (9) Yellow (6) 鳥より (4) 弁当 (3)

2011/09/29

I AM INTO DYEING

《 手間暇が掛かる所が良い 》


ダイロンという染料で染め物をするのが、最近はまっている家遊び。

履き心地がベストになってきたのに、
着古し色が抜けてしまったデニムを蘇らせるのが目的で始めたけれど、
お湯を沸かしたり、染料を溶いたり、もみ洗いしたり、色素定着を待ったり、
いくつかの行程を必要とする作業そのものがとても楽しい。


《 朝からはじめて 遊び終わったら夕暮れ 》


クリエイトの面白さにおいて、
子どもの頃はただ絵を描いたり紙を切ったりする行為それ自体が
大いなる遊びだったのだと、3歳の甥オミの一人遊びを見ていてそう思った。

けれど大人はそうはいかない。
色鉛筆を手にしてひたすら紙に描いて「ああ、描くって楽しい」では終われないのだ。

「花の絵を描こう」とか、もっと言えば

「青いスポーツカーが好きだから格好良い車の絵を上手に描きたい」といったふうに
遊ぶ意識には動機が増えていく。

子どもは ” 楽しい ” のために、
大人は ” 楽しかった ” のために遊ぶのかもしれない。


 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

スニーカーを洗うと風がふく

《 小学生の頃、毎週土曜に上靴を洗った 》


台風が通り過ぎ、しばらくぶりに晴天の休日だった。

日々の生活が湿気のような疲労をまとい始めてきたと感じたら、
わたしは汚れたスニーカーを洗う。

それも力一杯、入念に、容赦なく、汗をかくほど一生懸命に洗う。


思う存分ブラシで洗ったスニーカーをベランダに干す頃には、
疲労によって曇っていた感性に新鮮な風が入り込み、
暮らしには丁寧さが戻ってきたようだった。


 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/09/28

タフネス


好奇心がわたしを追い越していく。


《ちょっと待って》


《それら全部に浸りたいけど、でも、わたしはゆっくり行きたい》


《これからの日々で、それが必要かを、わたしはゆっくり知りたいのだよ》



立ち止まって、静かを待って。


お茶でも飲んで、静かを待って。


明日になって、静かは沁みる。



静かに興奮し、創りだせ、タフになれ。

2011/09/26

{ NEW ITEM } Platform Sandals Gray


《プラットフォームという言い方が好き》


《少しずつでもいいから、本当に良いデザインのものを手にしたい》




Raffaele Settembreという靴ブランドの

プラットフォームサンダルを買いました。
イタリア語が読めないので、日本語表記が書けない体たらくですが。


これを履くと、168センチのわたしは180センチになります。


これだけ高いヒールは初めてなので、

うまく歩けるか、いささか不安はありますが。

スニーカーとフラットシューズの毎日に、

女性らしい彩りもくわえてみることにします。

2011/09/25

{ NEW ITEM } JUST CAVALLI



《 色はラズベリーピンク  》





《少しずつでもいいから、本当に良いデザインのものを手にしたい》



Pink Denim From Italy.

Roberto Cavalli(ロベルト・カヴァリ)のセカンドライン、
Just Cavalliのデニムを買いました。

染料の落ち加減が絶妙で、

わたしの大きなお尻も心なしか小さく見せてくれる気がします。
ありがたや。

2011/09/24

デレク・ジャーマンに寄り添っていた

《 とても綺麗な青い装丁もだいぶ古びた》

CHROMA / Derek Jerman   ( 2002 )



 映像の専門学校生だった頃、デレク・ジャーマンはわたしにとってレオス・カラックスと並んで特別な存在だった。

 それは今でもかわらず、ゲイだった彼がエイズで亡くなる直前まで病院のベッドで書き続けたこの手記を、わたしはおそらく一年に一度は読み返している。

 この本は、彼の愛した人々と人生にまつわるエッセイであり、それらを彩った様々な色彩(クロマ)への愛の詩集だ。

 エイズで死んで行った恋人たちとの思い出の追憶や、ついに自身にもやってきた死の孤独。恐怖にいらだち自暴自棄になりかけながらも、彼の気品ある文章や思考は最期まで陰ることなく鮮やかな色彩に寄り添うように記されている。
 少しずつ精神と肉体が弱り、死に近づいていくデレク・ジャーマンの思想はとても繊細だが、自身の身に起きた不運に泣き濡れるような弱さは感じさせない。残された時間への焦りを感じさせることはあれど、あくまで彼は凛と美しいのだ。

 この青い本を読む時はいつも、終焉への過程を、彼のベッドサイドで一緒に見つめているような気がする。
その度に、彼はひっそりと美しく、同じように死んでいく。それが悲しい。

2011/09/23

年輪とシンプルと芥川龍之介

《 ★ 》


突然この世を去る可能性を抜いたら、

27年目のわたしの人生時間は今このあたり。

きっと人生は、

棒グラフでも円グラフでもなく、年輪グラフだ。

どんどん大きく広がっていくのだ。





《 NOT SIMPLE, BUT MORE SIMPLE 》


かつて芥川龍之介は、

単純さについてこう語った。

  単純さは尊い。

  が、芸術に於ける単純さと云ふものは、
  複雑さの極まつた単純さなのだ。

シンプルの概念もまた然りだろう。



 「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

静かな夜に現れるは、

静かな夜に現れるは

遠いおもいでの回想や


霊的な美しさの ファンタジック

まどろみのような優しい幸せと

静かに音をたてる 薄暗い孤独



 《アスファルトの道を行くカンダタの姿を、僕は書きたいんだ》


赦しとは、なんだろう。

2011/09/21

白ワインで秋を待つ

《 キリっと辛くて爽やかな酸 シチリアワイン 》


FIDELIO Bianco Sicilia


部屋の窓を開けて、ひんやりした風にあたっていた。

夜更けに冷えた白ワインを飲めるのも、今年はもう最後だろうか。

最近おぼえたばかりの、ひとり遊びだったのにな。


2011/09/20

{ とり食堂 } 白ワインとおつまみプレート

《 お気に入りのゴブレット 》

Vernaccia Di St.Gimignano

今週はよく働いたので、

今夜は生ベーコンやらゴーダ&エダムチーズやら
作り置きのアボカドグアカモーレを全部ぜんぶ食してやる。

ずっと飲みたくて奮発して買った白ワイン

ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノと共に。

さあ、夜を楽しもう。




「また読んでもいいかな」と思ったら


「写真だったら見たいかな』と思ったら
にほんブログ村 写真ブログ iPhone写真へ

2011/09/16

Notes 4. 5.

Notes 4.

 「なんだか、つまらないなあ」というボンヤリとした不満が、生活を雑にしていく。近年のわたしは、心の底から、何かを全力で、完全に楽しむというのがどうも下手になってきているみたいだ。何かイベントがあっても、どこか消化不良気味で終えてしまう。それは翌日への不安や体調への懸念、金銭面への考慮もあるかもしれない。一体、いつからだろうか、保険をかける楽しみ方を覚えたのは。


Notes 5.

 友人たちとは、もう数ヶ月と会っていない。
 食事をしたり、お酒を飲んだり、恋の話をしたり、将来についての話をしたり、日々の生活で感じる違和感や、それぞれの幸福についての話をとりとめもなくする。本当にとりとめもなく。『恋愛』『宇宙人』『ハマっている食べ物』なんでもいいのだ。ただそれが、表面的な好きと嫌いで終わる話ではなく、理由や発見や疑問や不満に満ちた、お互いのディープな部分をつかって交わす刺激的な会話であれば。
 一人遊びをして楽しんだりイベントで自分を盛り上げたりしてはいるけど、まったく満たされない。

 《じゃあ、満たされていた時は何をしてたんだい?》

2011/09/07

ひよこと夜のプラネタリウム

《 ミクロからコスモへ 》

 「プラネタリウムには、行ったことあるかい?」

 夜にたゆたう夢々は、まあ、プラネタリウムのようなものだ。

 ドーム型をした劇場のようなスペースには円形状に座席が配置されていて、大概の場合その座席は、大して高級な座り心地ではないだろう。けれど僕は努めてゆったりと腰掛けるようにしてるよ。心をゆったりさせるように、”つ・と・め・て” ゆったりと座るようにするんだ。できればバッグは持っていないほうがいい。財布や文庫本は上着のポケットか何かに入れるようにして、バッグなんかは家に置いてくるのが一番だ。もしも持ってきてしまったお嬢さんがいれば、自分の座席の足元に入れるように教えてあげる。お尻の後ろに入れるのは禁物だから必ず足元にね。その理由は”音” 、そう、もちろん音だ。もしもお尻の後ろにバッグを置いてご覧なさい。あなたが体勢をなおす度にバッグの中の持ち物が擦れ合う音が鳴ってしまう。プラネタリウムは巨大なスピーカーがあるけれど、問題はそういうことじゃないんだ。あなたが演劇をみている時、映画館にいるとき、轟音の電車内にいるとき、周囲の物音に気がついたことが一度たりともないなら、話しは別だけどね。そう、物音ってものには気配も混じるから、バレてしまうものなんだよ。眠っている誰かをそっと跨いでトイレに行く時、大抵の場合、跨がれた方の人間は気がついているっていう話しと同じ。
 おっと、プラネタリウムの話しだった。バッグの置き場についてだね。とにかく音はたてちゃ駄目なわけだ。音は気がつかれるし、さらにその音によってあなたの周囲に座っている人たちが「わたしはあの人(あなたのことだ)の物音を注意することもできない臆病な人間なんだわ」と自己嫌悪に陥ってしまうからね、それは避けないといけない。慎ましく日々をおくる多くの優しい人たちを困らせてはいけないんだ。たとえそれがプラネタリウムで隣り会わせた他人だったとしてもね。だから注意しなくちゃならない。必ずバッグは座席の足元に置くこと。もしくは、そう、上着のポケットをうまく使うんだ。
 あとは簡単、プラネタリウムを満喫すれば良い。
 その日、その週、最近に、あなたの身に起きた悲喜交々を丁寧になぞるように思い出しながら、鼻から吸った酸素を薄く開いた唇の間からスーと出して、肩の力を抜いていく。脳みそに酸素をおくりながらね。イメージするんだ。渦巻いてブヨブヨした自分の脳みそに酸素が入っていくのをね。
 そしてゆっくりゆっくり、プラネタリウムの座席に心と身体を沈めていく。悲喜交々を反芻しながらね。

 (なぜ、わたしは、あんなことを言ってしまったんだろう)


 はじめは、ぼんやりとしたミクロだと思う。

 物事につきまとう感情というものは、いつだって相対的であることが困難なのだから。だからそれでいいさ。まずはぼやけていても、ミクロな視点であってもいい。むしろ、そのミクロの中に嘘があってはいけない。自分の感情なのだから「わたしにも悪い所があった」なんて自分におべっかを使う必要もないんだ。わかるね?まず何よりも大切なのは、自分がなんのためにそのような行動をして、そのような発言をしたのかを、感情の指先でそっと優しくなぞって確認してあげること。桃の産毛をなぞるように、生まれたてのひよこを撫でるように、赤ちゃんの小指を愛おしむように、そっと自分の感情に触れてあげるんだ。そうやって、道徳や善悪とは無縁の、自分の中の ”ある部分”をつかって、自分の深い所に触れて感情を確かめていけばいい。
 いつしかミクロだった目の前の感情は、一ヶ月、三ヶ月、半年、一年、五年、十年という時間について、前に後ろにうつろっていくんだ。現在をしっかりとらえることで、過去や未来の時間がプラネタリウムの天井から光のシャワーのように降り注いでくる。あとは、もう、身をまかせればいいだけ。わかるだろう?気持ちがいい感覚に身を任せればいいんだ。君の人生に起きた悲喜交々を、宇宙的なスペースの時間感覚に委ねて、たゆたえばいい。

 そして最後に、そのプラネタリウムが、おもちゃのスノードームの中にあったんだって、君は気がつくんだ。



***

 ひんやりとしたこんな夜には、幾千もの夢をみて、たゆたう。

 夢という言葉をつかうのは便宜であって、本当は空想のようなものかもしれない。さらにそのいくつかは空想ではなくて、未来への標識のようなものでもある。あるいは自身のペルソナとの親密な会話でもあるかもしれない。

 誰に公言するでもなく、じっと一人、心の中で幾千もの夢をみてはたゆたう。



2011/09/02

Notes 1. 2. 3.

Notes 1.

  「酒も煙草もコーヒーもやらない奴はどうも信用できない」

 昔、年上のインテリジェントルマンが言っていた言葉が、突然意識の中空に躍り出て、思わずキャッチした。
 人間の欲に直結した『だらしなさ』という要素を、ある種の象徴に置き換えたとしたら、例えばそれは酒、煙草、コーヒーなのかもしれない。それ以外にもチョコレート、マスターベーション、二度寝でもいいし、深夜のネットショッピングでもいい。人によってなんでも当てはまるのだが、それらの『象徴』をやらない人、もしくは絶対に我慢できる人なんか存在するのだろうか?「やらない」と嘘をついて自分を良く見せようとする人ではなくて、真剣に禁欲的である人なんか本当にいるのだろうか?そんな人はきっといない。


Notes 2.

 『道徳的にそれが正しい』 を選んで行動・発言を繰り返す人は、とても不自然だ。
 コミュニケ―ションにおいて不器用ならば、それはそれで苦労も多かろうが、嘘で道徳人を演じたり、正当性をちらつかせる不憫な弱者を演じて周囲に味方をつくる必要もない。(本当は賢いからできる)
 虚勢、知ったかぶり、媚、建前、妥当な意見、味方がいればいいや、エトセトラ。『正直でいる』ということは、実はそんなに辛くはないんじゃないだろうか?と思ったりする。正直な意見はなんだか笑えるくらいフレッシュな鮮度があるから、そうした発言をする時はいつも おもちゃ箱をひっくり返すようなカラフルな衝撃がその場に走る。それは時に楽しみでさへある。
 『カジュアルに正直でいる』ことは大切だろう。そうしていて、敵をつくったりすることはないと思う。カジュアルだからだ。意見することで誰かとぶつかることを怯えるのはナンセンスだ。嘘っぽい人間というのは歪んで見えるし、そういう人の独善的な人間臭さは、場合によっては暴力的ですらあると思う。
 人生は、想像以上に短い。わたしなんか、もうあと50年くらいしか命がない。やりたいことも、やるべきことも、迷ってないで全部やるしかない。自分の中の善悪の尺度は、時に非常識の極みかもしれないけれど、考え抜いた末それしか選べない時は確かにやってきてしまう。


Notes 3.

 はやく、台風すぎろ。
 怪我人でませんように。
 台風すぎたら、また走りにいける。

 ランニングすると、風を感じる。
 風はふいているときは当たり前すぎて、意識しないから。
 ランニングすると、風にぶつかっていける。
 それで、風を感じる。

 風しか、透明な色のものはない。