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2011/10/31

トーリー・ブラウンより〜2〜

ねえ、スヌーピー。

掛けていたコートが床に落ちているのを見つけた時、

僕はいつも暗い気分になるし、

つい『クソッタレ』って悪態ついちゃうんだ。

ホントその時だけ、僕ってば『クソッタレ』って言っちゃうんだよな。

そんな時ってあるかい?


〜トーリー・ブラウン〜

トーリー・ブラウンより〜1〜

お店でもらう紙袋ってやつは、なんでこうも素敵に見えるんだろう?

ビニールだといつも通りのさえない日なのにさ。

紙袋を持つと自分が雑誌に載ってる人みたいに思えるよ。

だから僕、集めちゃうんだよな。

ねえ、君はどう?スヌーピー。


〜トーリー・ブラウン〜

2011/10/30

{ Music } R.E.M. / We All Go Back To Where We Belong

ラストダンスですね…。


R.E.M.

We All Go Back To Where We Belong




I dreamed that we were elephants

Out of sight, clouds of dust
And woke up thinking we were free

I can taste the ocean on your skin

That is where it all began
We all go back to where we belong
We all go back to where we belong
This really what you want
This really what you want







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2011/10/17

セイ グッバイ マイ ネガティブ

《 部屋でぼんやり考えた 》


 ほんの数ヶ月前のことを、とても遠くに感じていた。

 ほんの数ヶ月前、自暴自棄だった頃に比べれば今の心身はとても柔らかで、日々の優しいことや、こそばゆい笑いに涙がチョロりこぼれるほど、わたしは癒えているのだと今夜気がついた。

 あの時期に感じていたのは世界の重力と、それに反比例するもぬけの殻の自分だった。地に足がつかず宙に浮いていた。

鬱々と思考ばかりくりかえす日々から脱却し、生活がひとつのサイクルに乗りはじめると、気がつかない程度ほんの数ミリずつくらい、日々を形成する物事は好転していったように思う。

 思い起こすのは家族との笑いやイザコザ。
 お互いに傷つきやすくて、うまくいかない不器用なコミュニケーションに、美味しい食卓。それから、会えなくても誠実に想いあえる友人たちのこと。陰鬱に悩みたがり屋なわたしよりも、もっと大人で、軽やかに悩む可愛い友人たちの発言。そして彼らがそれぞれのリアルライフにお行儀良く隠した、本当の辛さ。そんな彼らの姿はとても美しい。また別の友人が、夏の銀座の小さな画廊で見せてくれた恋人を想う甘い眼差しは、とろけるような幸福感をわたしにくれた。
 結婚を控えた友人と過ごした時間についてはどうだろう。彼女が一人で暮らす部屋に泊まるのはこれがもう最後なのだと思うと、わたしは哀しかった。確かにしかったのだ。けれど、彼女がもう一人じゃないと思うと、帰り道の電車の中ではやっぱり涙がこぼれたりした。
 姉が結婚した時もそうだった。もう自分だけの、自分一人にとってのお姉ちゃんではなくなるのだと思うと、心が破れそうだった。その頃のわたしはあまり家には帰らなかった。
 けれど甥が産まれてかわったと思う。
 命が産まれた瞬間に初めて立ち会った、あの非現実的な美しさに満ちた日を、わたしは今でも時々思い出す。無性に心細い夜の孤独が襲ってきた時には、産声をあげたばかりでフニャフニャで、一生懸命に泣き声をあげる小さな命のかたまりだった甥の、健気な姿を思い出すのだ。わたしも母のお腹から、あんなふうに健気に必死に産まれてきて、寒さや初めて聞く外の世界の物音に驚きながら震え、泣きながら、はじめたばかりの呼吸をしていたのだろうと思うと、力がみなぎってきて、心細い夜の孤独は影を潜めていくのだ。そして、いつの間にかゆっくりとした眠りに包まれている。
 そんな甥も、昨日でようやく3歳になったらしく、それは大したもんだと嬉しくなったりもした。甥は重度の食物アレルギーなので、本人も姉夫婦もたくさん試練を乗り越えてきたし、うちの両親も何度も救急病院にくり出したようだから。

 わたしが甥のことを好きだと思う瞬間は結構たくさんあるのだが、それを印象づける晩があった。
 甥や姉夫婦は、甥が産まれてからというもの毎週のように我が家へ泊りにきていた。狭い家に大勢が寝泊まりするので、甥たちはリビングルームに布団を敷いて寝ていたのだが、甥が2歳くらいの頃に、深夜に寝ぼけている姿をわたしはこっそり見たことがある。たまたまわたしは自分の部屋から皆のいるリビングへ水を飲みにいき、そこで眠ったままの姉とその隣りの布団で座ったままボーッと寝ぼけている甥を見たのだ。薄暗がりに浮かぶ白い小さな背中が、寝ぼけたまま右へ左へユラユラしながらぼんやり宙を見ている姿を見て、なんと可愛いい奴なのだと思った。暗い部屋の中、小さな子供がひとり起きている姿をみるのは、あの時がはじめてだったから。いつもの風景に見慣れないものがあったことが、わたしを驚かせ、それと同時に妖精かなにか、そんな神秘的なものを見ている気持ちにさせたのだった。

 友人に優しくするよりも、家族に優しくすることのほうがよっぽど難しいと昔から思う。より小さな空間の中で交わされるもっとも身近な愛情は、喜怒哀楽のすべてを膨らませてしまうからだ。それはつまり、喜びや楽しみを共有できる幸せな波動を倍々に膨らませることができる反面、どんなに些細な怒りやどんなに小さな哀しみも、顕微鏡を覗くように拡大して見えてしまうということだ。家族に
優しい自分でありたいと強く思う気持ちと、実際にそれを実行できているかどうかは、相変わらずアンバランスかもしれない。けれど、今のように落ち着いている日々の中で、身近な人への丁寧な心配りの手触りが、わたしの身体に染み込みますように。 

 大人になると、生活の大部分の時間は仕事をしている時間だ。わたしが自堕落な時間から抜け出せたのも、新しい仕事をはじめたからだろう。仕事をする中で直面する多種多様なストレスはあると思うけれど、仕事をしない、仕事がない、ということの方がよっぽど辛いと思う。
 前職と比べ、仕事内容も環境もまったく違う場に飛び込んだので、色々なことに慣れるのはそれなりに大変だったし、カルチャーショックも多々あった。けれど今では仲良くしてもらえる人たちもいて、毎日の仕事には驚きと緊張と、進歩していく楽しみがある。職種を変えることは、わたしなりに大きな決断だったけれど、今ではこれで良かったのかもしれないと感じている。それは、『自分の決断は人生謳歌の感覚にナチュラルでいられたのだ』という深い納得があるからだ。新しい仕事をはじめてからというもの、前職を続けながら感じていた適正への違和感はなくなった。

 家族や友人や仕事のことで、なんだかんだ、淡々と忙しくしているうちに、数ヶ月前に感じていたぼんやりとした不安は少しずつ消えていった。気がつけば、曇りガラスの内側に閉じこもったまま、社会という外界を眺めているような疎外感も自己嫌悪も、なくなっていた。

 日がな一日、河川敷の草むらに寝そべって空を見上げ、水色の空の中に吸い込まれるような感覚で現実逃避することもなくなったし、何かに怯えながら夜を歩き回ることも、今はもう、ない。

2011/10/16

Graceful

《 嘘っぽくなければ それでいい 》

 

色々なこと。

本当にありとあらゆる色々なことにとって

最終的に大切なのは、結局そこに品があるかないか。
それだけ、と思う。

嘘とか見栄とか自分を大きく見せるとか、

いかにイケてるかのさりげないアピールとか全部、
わりと手軽に日常的に、
ヒョヒョイのヒョイと出来るけれど、
やらない方が良いだろう。

だって、それ、品がないもの。



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2011/10/04

NEED / EAT

《 なにが ほしいの? 》


 今から7~8年くらい前、わたしは演技の勉強をしていた。

 『NEED/ニード』というのは、ニューヨークの演技コーチが教えてくれた言葉だ。 
 結局ほんの数年間しか役者といえるような活動はしなかったけれど、演技をはじめたその当時は、まだ自分の人生の『芯になるもの』を探しはじめたばかりの若いオンナノコだったので、勢いと思いつき重視の、大胆な行動力があったような気がする。そのうえ芸術学校に通っていたわたしは、若いアートの(ちょっと勘違いした)学生らしく、内なる情熱と好奇心の赴くまま、前へ前へと行動を続け、その勢いのまま、ニューヨークまで演技の勉強に行ったのだった。

 映画で見ていたニューヨークの汚い地下鉄や、時代がかった建築物、アーシル・ゴーキーにジャクソン・ポロック、憧れのアート作品やグッゲンハイム美術館のフォルム。世界各国から集まった食材の市場やチャイナタウンの飲茶、リトルイタリーのカフェでお茶をして、お金がなくなったら街角のジャンクフードを食べて帰った。
 履き古したブルージーンズと首のよれた白いTシャツスタイルだった化粧気のないわたしは、ニューヨーカーたちのハイファッションに目移りしてばかり。
 ブロードウェーでは『CHICAGO』観て、オフ・ブロードウェーでは愛しのイーサン・ホークの芝居に酔い、ブルーマン体験をした。オフオフ・ブロードウェーでは名もないアーティストたちのコンテンポラリーダンス作品を観て、意欲を刺激された。

 ニューヨークを初めて体験したあの当時のわたしは、あの場所に、『まだ見つかっていない自分の夢』の可能性を感じていたような気がする。歴史と文化と人種とアートが街中に溢れかえっているニューヨークという場所と、そこにある人々の生活に、すっかり魅了されていたのだ。

 
* * *

 表題にある『NEED/ニード』という言葉は、ニューヨークで受講した演技クラスで出てきた言葉だった。
 演技コーチのロベルタ先生は、私たち生徒たちに繰り返し同じ質問をした。

 《What's Your NEED (あなたのニードは何)?》

 それはとても単純な質問だったが、同時に人間としての本質的な問いでもあり、わたしにとっては少し難しい質問でもあった。



 《自分自身の心と親密になりなさい》
 《自分の中にいる、幼い子どものままの自分自身を見つけて、甘やかしてあげなさい》
 《感覚や感情を大切にあつかいなさい》
 《自分の欲求に素直に身を任せることは悪いことではない、それを思い出しなさい》

 21歳になろうとしていた当時のわたしは、『大人になりたい』と思いはじめていた時期で、学校でもアルバイト先でも家庭でも、『ちゃんとしなくちゃいけない』『感情論ではなく、理性的に正しい選択をしなければいけない』『筋の通った意見を述べなければいけない』といったように、”建前こそ立派だけれど実のところは頭でっかちな考え”を持っていたし、しかもそれを本心でカッコイイと思っていた。少し背伸びして『しっかり者』になろうと必死だったのだ。

 だからロベルタ先生からの質問は、当時のわたしにはとても難しく感じられた。けれど同時に、今まで誰からも聞いたことがない、新鮮な発想だった。

* * *

 演ずることから遠く離れてしまった今も、ふとした時に彼女の言葉を思い出す。
 それは、(ちょっと大げさに言うと)人生を左右しそうな『大きな選択』を前にした時や、「今日は何を食べようかな?」といった日々の小さな選択など、様々なシチュエーションで思い出す。
 そんな時はいつも、わたしの頭上に『What's My NEED?』という漫画のような吹き出し口が飛び出すのだ。

 そんなふうに日々の中で自分の『欲求(NEED)』を大切にしていても、歳をとるごとに自分自身を説得するのも巧くなっていく。

 欲求というものは時として簡単に理性に追いやられてしまうからだ。
 ベタな行動や安パイな選択は、社会人としてもちろん必要だと思うし、「それが『大人になる』ということなのだよ!」と言われてしまえばそれまでだろう。
 けれど、今わたしが敢えて着目し、大切にしたいと思うのは、感覚的で直感的で本質的な『欲求(NEED)』を、子どものようにスコン!と体現できるピュアさだ。


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Notes 6. 7. 8. 9.

Notes 6.

 近頃は小さいけれど激しいアウトプットをしている。とても意識的に。
大それた面構えで例えるならば、『自分が生きていく上でソレはなによりも必要なのだ』という渇望にも似た創造感覚を確かめているのだろう。あるいは、自分自身にすり込んでいるとも言える。だからこそ、『ソレ』に該当する媒体が具体的に何であるかは、ゆっくりと入念に調べていかなければならない。
 この歳まできて、ようやく初歩的で本質的な調査ができるようになった。


Notes 7.

 ただ強要されるルールというのは集合体での効率ばかりで意図も解しずらい味気ないものだが、自分が自分のためだけに用意する自分ルールというのは、もはやルールではなく、それは肉体や精神の衛生管理のために必要な秩序なのだろうと思う。
 
▶ルール(rule / 規則)
 ルールとは、人の従うべき準則であり、主に文章によって規定されたものをいう。

 (出典:wikipedia)


 これにより、『暗黙のルール』という言葉がわたしの頭の中でビジュアル化された。それはあらゆる空間に見えない埃くずが漂っているようなもので、誰かと誰かの間の中空にコミック雑誌の活字のような文章が(見えないけれど)浮いているといったようなイメージだ。


Notes 8.

 わたしが音楽に夢中になるのは、目に見える存在としての静止がないからだろう。そのニュアンスの類似が映像におけるクロスディゾルブであり、これに魅了されて久しい。
では音楽や映像の前、モチーフの起源は何かというと『想い』や『風』、『透明』という言葉がまとう、まさに透明な質感など、そういうもの自体だ。


Notes 9.

 しっかりとした咀嚼感を意識していく時間の中で、衣食住や労働における今後の自分の姿を想像している。『今後 』に関する丈や着心地などサイズ感を確かめながら、ジャストフィットするビジョンを手繰り寄せている真っただ中なのだろう。

2011/10/02

ちーちゃんと白い花

《 幸せなごはんを ふたりで作って食べた 》
 
友人が婚約した。

 わたしのささやかな人生の中にも、これまで、それなりに浮き沈みや右往左往はあったような気がする。
 人は自分の日常に不都合なことや処理しきれないことが起きた時、自分で自分を責めたり、自分を苦しめる自傷的な心の闇を持ってしまうことがある。そしてその心の闇は、気がつかないうちに大きな暗闇にまで成長してしまうから、とても厄介なのだ。普段どんなにポジティブで健康的な心の持ち主であっても、一度この暗闇に取り憑かれてしまうと自己否定という精神的な自傷を繰り返してしまうこともある。
 その暗闇をかき消したりその正体をつかもうとするためには、治療をしなければならない。自然の中に行ったり、旅に出たり、美味しいものを食べたり、カウンセラーのもとへ行ったり、人それぞれ治療の方法は様々だろう。

 わたしにとっての治療やリハビリは、愛する友人たちとの会話だ。または、彼らと何気なく一緒に過ごすだけでもいい。大人になるにつれて肉親には話せないことは増えていくが、友人たちとは語り合える。そして、彼らがくれる『わたしはこんなにも愛されているのだ』という実感が、やっかいな物事に立ち向かわなければならない時の勇気になるのだ。

 だからわたしは自分に勇気が必要になった時、彼女に会いに行く。
 二人で街に出掛けるのではない。彼女とわたしのあいだに必要なのは何か特別なイベントではないからだ。だからわたしはいつも彼女の暮らす部屋に会いに行った。
 初めて出逢ったのは6年前のニューヨークだった。同じユースホステルの集団部屋にたまたま寝泊まりしていたわたしたちは、ひょんなことからユースホステルを出て、マンハッタンのイーストハーレムにあるアパートに移ることになった。そのアパートの滞在は2〜3日だったけれど、わたしたちは近所で花を買い、街角のレストランに入り、部屋でおしゃべりをし、アパートの屋上でマンハッタンの空を見たりした。その出逢った時の情景が、それ以後のわたしたちの友人関係のスタンダードになったのだろう。だから帰国してから現在までの6年間、わたしが彼女に会いに行くときはいつも、彼女の部屋を訪れている。
 その日の夜に帰ることもあれば、そのまま1〜2日ほど泊まることもあった。わたしは彼女のアパートで一緒にご飯をつくり、お茶を飲み、彼女のアパートでおしゃべりをし、音楽を聴いて、彼女の隣りで眠った。
 彼女の暮らしに溶け込むことと、彼女に会いに行くということは、わたしにとっていつしか同義となっていた。

 まだもう少し若い頃、恋に翻弄されたわたしがひとりの男性との関係の終わりを受け入れられず、文字通りボロボロになった時期があった。『もう愛していない』と恋人から告げられた事実は当時のわたしを苦しめ、恋人への未練と、彼からはもう愛をもらえないという淋しさが、簡単にわたしの暗闇となってしまったのだ。そしてわたしの心と身体は弱っていった。
 失恋の痛みを昇華できず、まったく笑えなくなっていたあの頃のわたしは、まるで初恋をした少女のように純粋だったと思う。だからこそ、その純粋さゆへに自分自身を傷つけるための思考に埋没してしまったのだ。『はじめから彼には愛されていなかったのだ、自分は愛してもらえるような人間ではなかったのだ』という不穏な考えに、いつしかわたしは取り憑かれていたのだと思う。
 『なぜ彼はわたしを拒絶したのだろう、何か決定的な理由があったのではないか』と考えはじめると、夜もあまり眠れなかった。何日も布団の中で泣いて泣いて、電車の中でも授業中でも喫茶店でも気がつけば涙がこぼれ、傷心の時期を過ごした。
 わたしと彼との関係の一部始終を見ていた友人たちも、たくさんのなぐさめの言葉をくれたけれど、わたしのあまりの痛ましい姿は対処に迷う腫れ物のようで、彼らはいささか困惑していたようだった。精神的自傷を繰り返すわたしの心の暗闇はなかなか消えることなく、苦しみが過ぎ去るのを待つワンパターンの日々が、ひたすら鈍足に過ぎていった。
 そうしてしばらくした頃、わたしは彼女のことを思い出し、彼女の住む街へ会いに行ったのだった。


 『そんなに好きな人がいたなんて、そんな愛しい気持ちをもてたなんて、すごく素敵なことよ』


 あの日、彼女はわたしにそう言った。そしてゆっくりと優しい声でわたしを慰めながら、いつものように温かいハーブティーをたっぷりと飲ませてくれた。彼女はにこにこ微笑んでいたような気がする。わたしを庇うことも、恋人だった男性を責めることもなく、恋する気持ちの素晴らしさだけに光を当てて、わたしに語りかけてくれた。
 あまりに何週間も泣きすぎて、風化する寸前に思えたわたしの心と身体は、あの日、彼女の手を借りて幸せや喜びという栄養を再び蓄えることができるようになった。彼女と過ごした時間が、わたしに癒えるためのきっかけをくれたのだろう。いつしか、自分に取り憑いていた暗闇を追い出し、自分を責めることをやめることができたのだった。

 数ヶ月前、彼女から婚約したと知らせを聞いた。そして昨日、わたしは彼女に会いに行ってきた。つまり今回が、彼女一人の部屋に訪れる最後だった。
 彼女はこの冬結婚し、婚約者との新居に移るからだ。新しい部屋新しい土地ではじまる彼女の生活は、これまでわたしが訪ねてきた一人用の部屋ではなくなっているだろう。きっとお相手との二人用の部屋と暮らしがそこにはあるはずだ。そして少し先の未来には、三人や四人用の生活も待っているのかもしれない。

 わたしたちは出逢ってからこれまでの6年間、そこまで頻繁に会うことはなかったし、お互いの私生活をリアルタイムで共有したことも数える程しかなかったと思う。けれど、8つ年上の彼女はわたしにとってはじめから特別な友人だった。
 理由はわからない。けれど、特別になったのではなく、はじめから特別だった。ほんのたまに、こういう出逢いはあるのかもしれない。
 彼女の笑い声や彼女の暮らす空間、彼女の美意識や大らかな楽観、類希な優しさと強さ、そしてなによりも彼女のもっている『生きていくのだ』という輝きによって、わたしの心は何度も救われてきた。
だからちょっと真面目に、ありがとうと思っている。
 成人してからのわたしの人生にとても大きな影響を与えた彼女は、いつもわたしの心の中の特別な場所にいるのだ。


 昨日ひさしぶりに会った彼女は幸せそうに柔らかく笑っていて、少しだけふっくらしたように見えた。そして、わたしたちの再会を祝って白い花を買ってくれた。
 数年前、彼女の身にとても悲しいできごとが起きた時も、部屋には白い花があった。
まだ夏の蒸し暑さを残す季節だったと思う。悲しみで痩せこけてしまった彼女は、骨が浮き出てしまった細い肩を振るわせながら少しだけ泣いていた。わたしは、あの白い花の鉢植えが置かれていた窓辺と、あの日の彼女の姿を、生涯忘れることはないだろう。大切な人を失ってしまった直後の彼女の姿が、わたしの目に焼き付いて離れないのだ。それは誰かを想う愛しさや優しさ、そして耐えきれない程の痛ましさが詰まった情景だった。
 けれど、あの日の彼女はもういない。昨日、彼女は、白い花の隣りで幸せそうに微笑んでいたから。

 最後に会ってからどんなに時間があいても、お互いの人生に、何か言葉では言いあらわせないほどの大きなことが起きても、起きたことをなんとなくしか理解してあげられなかったとしても、わたしたちの関係がかわらないことを願う。
 そして何よりも、彼女がこれから先の未来で、幸せな家庭をきずけますようにと
願う。



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