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2014/02/14

{ Music } 初恋に捧ぐ/初恋の嵐

 わたしは昨年、とんでもなくどうしようもない片想いを経験し、相変わらず恋に恋して爆走、そこからの妄想、さらには暴走という、どうしようもない夏を過ごしてしまった。そして秋頃には「もう当分、恋とはおさらばだわ…」という、傷心からくる逆振れリアクション、もしくは防衛本能とも言える『No More 恋愛!』宣言を友人たちを相手に繰り返していたのだった。
 20歳の頃と相変わらぬ未熟な恋愛観を繰り広げるわたしの姿に、またもや友人たちに大きな溜息をつかせ多いに呆れさせていたわけだが、彼らにとってはいつも通りの展開だったかもしれないが。

 そしてその宣言通りというべきか、春を目前にした現在、自分の今後のキャリアについて(数年ぶりに)真剣にフォーカスしているため、恋愛にアンテナが向けられる余地もなく、そして哀しいかな、はっきり言って出逢いもなく、地味な転職活動を継続中だ。

 そんな日々の中、久しぶりに素晴らしい音楽を聴いて恋愛体験の輝きことを思い出した。思い出させてくれたのは、初恋の嵐というバンドの音楽だった。





 初恋の嵐による『初恋を捧ぐ』というこの音楽。なんという軽快なポップチューンか。

 かつてわたしが中学生の頃に愛した90年代のジャパニーズポップスそのものだった。そして、この楽曲と共に恋愛の思い出にまつわる明るい光景の手触りが一気に押し寄せてきた。
 
 わたしはこれまで、直球型の幼い恋愛を繰り返している自分自身をかなり恥じていたが、この楽曲を聴いたことで、毎回の恋愛の中、初恋のような感覚を持ってきた自分は案外幸福で、とんだハッピー野郎じゃないかという解釈にかわった。なんとポジティブだろうか。
 恋を愛へと育むように成熟していきたいと思いつつも、恋の嵐に巻き込まれる夢中な感覚も忘れたくないなどと思った。

 そして25歳で亡くなってしまった『初恋の嵐』のボーカル西山達郎氏が、90年代を代表する偉大な詩人であったことを受け、「誰かもっと早く教えてよ!」と叫びたくなった。

 西山達郎氏の繊細な感受性と、言葉を話しはじめたばかりの子供のような率直で偽りのない表現力は、初恋の初々しくも痛ましい真理をポップチューンに乗せて見事に歌い上げている。
 本当に素晴らしい作品に多様な解釈を施すことはナンセンスだと、かつてスーザン・ソンタグ女史は『反解釈』の中で書いていたが、この楽曲こそ、まったくその通りではなかろうか。作品は作品そのもので受け止めるしかなく、難解な解釈の余地はないと、号泣して聴きながら考えていた。


  全てを台無しにするような
  大切なものを 心に放り込んでくれないか
  夢から醒めたいんだ 僕に答えを見せてくれ


つまりそう。初恋とは、そういうものなのだ。




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2014/02/03

1ヶ月を振り返る

《 毎日旅行みたいな気分でいられたらね 》


Somewhere is calling me but I might not go there.


 『約一ヶ月ほど、ブログを更新しなかったのは南国に旅行に行っていたからです。』というのは妄想で、本当はもっと地味で行き詰まった気分にさせられる生活をしていた。
 だからようやくはじまった2月に、今はすがるような思いでいる。今日はここ数日のうちでもいちばん暖かく、春を感じさせるような新鮮で暖かい風が吹いていた。部屋の窓を開けたまま過ごせたのもとても久しぶりだったような気がするから、冬はもうじき終わるのだろうか。わたしの鬱屈した生活も元通り健康的な生活になるのだろうか。

 年始は家族と一緒の正月を落ち着いて過ごすことができて、丁寧な生活をおくっている自分にもとても満ち足りた気分だった。しかし、さすがと言うか残念ながらと言うか、三日坊主のわたしの生活が崩れ出すのはあまりにも早く、この2週間あまり、情けなさでいっぱいで引き攣った笑顔で太陽に向かって空元気に微笑む毎日だったような気がする。
 しかもストレスが溜まると、悲しいことにわたしは何よりも過食に走ってしまう。食事をすることも料理をつくることも心から大好きなのに、衣食住でいちばん好きな『食』に、わたしのストレスの影響は出やすいのだ。しかも、よけいな脂肪がついて動きにくくなった自分の身体に辟易するし、鏡に映る自分の姿にまたストレス増加して食べる。こういった過食サイクルが始まってしまう、イコール、八方ふさがりのオーマイファッキンシット状態で、自己埋没気味になっていくし、日常の様々なことに対して自信がなくなり、消極的になる。そして、『食』への影響のみならず、『衣』や『住』にも大なり小なり影響が出てくるのだ。
 まず手はじめに、休みの日は一日中パジャマでもいいかと思うようになる。その日の天気が曇りだったり雨だったら、さらに最悪だ。悪天候ならば家に引きこもるしかないし、それはまるで天から指令を受けた療養命令のようなものだと自己暗示に走る。つまり、自堕落なアラサー女に転落寸前のわたしはとても貪欲で図々しいので、あらゆるもので自分を正当化できるし、すべてを甘い誘惑に解釈できる思考回路がフル回転するのである。一日中パジャマのまま部屋にいることが、自分自身へのほんの些細な甘やかしだったはずなのに、天候などの本来無関係な状況がネットショッピングのお買い得パックのようにあれよあれよとわたしの言い訳に付随して、最後は奇跡的な正論を導きだしてしまうのだ。
 そうしているうちに、洗い上がった洗濯物をクローゼットにしまうことすら億劫になり、そして最後には、鏡に映るどこかで見かけたことのある無惨な姿のアラサー女相手にストレスが爆発し、中指を立てながら責め立てたい衝動にかられるのだ。
 そしてこのように哀しい真実と妄想の世界を文章化してブログに載せるならば、そのエネルギーをもっと有効活用できないものかと、頭を抱える。そんな負のサイクルだ。

 わたしのストレスが過剰に増えた決定的な原因は、個室で30分間、知らない大人に自分のキャリアをせせら笑われ、馬鹿にされたことが原因だということは分かっている。どこでそんな非道な目に合ったのだと誤解が生まれる前に訂正しておくと、わたしは現在転職活動中で書類選考や面接が始まっているのだ。そして端的に言うと先日受けた一つ目の面接はうまくいかなかった。
 広く就職活動というのは本当に辛い。年末からの長い休暇を明けたばかりで休みぼけも多いにあったが、それを差し引いても、就職するということの重圧と過酷さをわたしはすっかり忘れていた。呑気なものだ。
 このブログを通して、少なからず自分の言葉を書こうとしてきたので、自分のことを分析するのが少しは得意な方だと思っていたけれど、それは過信だったと今になって思う。
 自分の目指す目標を活字にすることや自分自身の人間性を見つめ返すこと、自分の特性に名前を付けてカテゴライズすること、自分のこれまでのキャリアを棚卸しすること、それら全てを結集させて過去から現在に至る迄の壮大な物語を面接官や採用担当に印象良く語り聞かせるという行為など、就職活動はすべての段階で叫び出したくなる程のプレッシャーと面倒臭さがある。しかも過去をプレイバックしていく中で嫌でも思い出してしまう数えきれないほどの自分の汚点に苦しめられたりもする。ひどい恋愛や、若さゆえに無責任だった約束などもその汚点には含まれている。(このブログを読んで頂いている素敵な読者のあなた様にも、赤面するような汚点のひとつやふたつあったなら、自虐的なアラサー女のわたしには願ってもない癒しになるのだが。名乗りをあげてくれたら、お互いに傷を舐め合って慰め合いましょうと誘いたくなる。そして、淹れたてのホットコーヒーをマグカップ一杯にお注ぎしたい。)
 わたしは今、世界中のあらゆる年代の求職者と共に、キャンプファイヤーを囲んで歌い明かしたいほど彼ら同胞達のチャレンジを応援したい気持ちでいっぱいだ。
 とてもシンプルなことだが、『働いて(お金を稼ぎ)生きていく』という大人の基礎テーマは険しい道なのだ。その現実を、繰り返し脳みそに刷り込んでいる。この世はおとぎの国ではないことはこれまでも何度も理解していたつもりなのに、少女漫画の世界を引きずったままの哀れな脳みそは、簡単に現実世界を上書きしてしまうのだ。何度でも。

 そんな訳で、まだたった2週間しか経っていないのに就職活動のストレスでわたしは過食に陥っていた。
 しかし今日の午後、突然、悪夢の魔法が解けたように我にかえったわたしは、吐きそうな恐怖と戦いながら風呂場の体重計に乗ることにした。体重計というおせっかいで几帳面な正直者に協力を仰ぎ、おとぎの国から帰還する為にも現状の自己理解をさらに促そうと試みたのだ。
 そしてこの2週間の自分がいかに乱れた生活をしてきたかという結果を、著しく増加した数値として眼前に突きつけられ、気絶した。
 再び目が覚め、倒れていた風呂場からなんとか自室に這い出して、ひとつだけ決意をした。『なんにせよ、ダラダラしないで、メリハリをつけよう、転職も生活も』。
 やりがいをもって働いて、しっかりとお金を稼ぎ、丁寧な暮らしをしつつ、友だちと遊び羽目をはずし、時には旅に出る、これが目下わたしの理想的社会人像だ。
 手はじめにスーツケースを数年ぶりに出してみた。旅に出る時のようにコンパクトな身支度をして、ただ見知らぬ土地に飛び出すだめに。


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2014/01/11

ウィトゲンシュタインは賢い

《 世界の広さも考えよう 》



"The limits of my language means the limits of my world."

 Ludwig Wittgenstein 

『わたしの言語の限界がわたしの世界の限界を意味する』

 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン


面白い人の思考や面白いこと面白い作品など、あらゆる面白いものでわたしの日々の楽しみは形成されているけれど、ここ最近、そのほとんどに対してかなり受動的な楽しみ方しかしていないことに気がついてしまった。そしてとても残念な気分になって、少し落ち込んだ。


 たとえば読書をして本の中で展開されている物語や思想を楽しんでいても、そこに書かれている内容に対してただ受け手として聞くだけ読むだけになってしまっていて、あくまで受動の状態でわたしの読書は完結してしまっているのだ。何かについて考えるとか、何かについて気になるとか、そういう脳みそをフルにつかった取り組みへの熱心さが以前よりも薄まっていることに気がついてしまって、落ち込んだというよりも少し焦ったのかもしれない。
 わたしの姉はいわゆる高学歴な人で、国内トップの進学女子校を卒業して渡米しアメリカの西海岸にある有名大学に進んだ後に6年後帰国、現在は日本の外資で出世中というキャリアの持ち主なのだが、彼女は『あの人ってすごくおもしろい』と言いたい(であろう)時に『あの人ってすごく賢い』という表現をよくつかっている。そこに嫌みっぽさはあまりなく、おそらく彼女の本音だし最大限の賛辞として賢いという表現をつかっているみたいだ。わたしは姉がこの賞賛の言葉をつかっている時に、その表現をつかう姉の存在が身近すぎた為か今まで特に気にも留めてなかったけれど、ここ数週間は妙にソワソワと気になって仕方がない。どうも、あまり脳みそをつかっていなかった近頃の自分が、このソワソワには関係しているみたいだ。

 とはいえ、わたしの賢さが足りないということに関しては別に今にはじまったわけでもなく、わたしは学生時代からこれといって突出して頭が良いほうではなかった。地元の公立中学を卒業して”中の中”くらいの高校に通い、受験勉強をすることもなく映像表現の専門学校に通い、卒業後の数年間は映像職で右往左往したけれど結局20代の後半はフリーター生活をしてきた。その間、わたしは一度も賢さによって成せる達成を経験したこともなければ、賢い人の優れた思考回路に感動した機会も少なかったような気がする。賢さを感じる為に必要な賢さをわたしは持ち合わせていなかったのだと思う。
 こういうことを書いていると、「学力と賢さは必ずしも比例していない」と言われてしまうかもしれないが、一方でこれらは反比例しているわけでもないと思う。それにやっぱり確率的には、一般的な学力がある人の方が『考える力』を持っているような気がする。学力のある彼らを形成する基盤において、日本の受験を乗り越えてきたということは、考える為に必要なつかえる脳みそを鍛え上げてきたという経験なのだと思うから。つまりわたしが言いたいのは、歴史の年号を暗記できたとか数式を覚えているということに敬意をはらっているのではなく、年号を覚えるにはどうすれば良いだろうかとか、簡単な数式を応用して高度な問題を解けないものかみたいな、問題解決へのアティチュードを自分で形成していく過程でこそ得られる知力が、その後の社会に出た時の賢さに繫がっているのではないかということだ。何も受験勉強だけがその知力を養える機会ではないと思うけれど、10代においては絶好のシチュエーションではないだろうか。そういう点で、わたしは10代の頃少々サボってきた組なので自分の知力の基盤が緩い。読書や人との出逢いなどの経験で、多少の補修工事をしてなんとかこれまで凌いできたけれど、考えることを一度サボりだすと、基盤が緩い分崩れるのが早いのかもしれない。「わたしはもう倒壊寸前です」とまでは言わないけれど、自分のハリボテ感には多少嫌気がさしているのは事実だ。30歳を目前にして、『考える力』が30歳以降の人生における充実感や濃度を左右するような気がしてならない。感受性の方の素養は多少なりともあるみたいだから、これからはもっと意識的に『考える力』を鍛えていこうと思う。

 昨年まで、職場でのパワーハラスメントやモラルハラスメントに悩んだ時期があって「考えすぎて辛い、夜も眠れない」みたいな状態が続いて、きつい時もあったけれど、今更ながら『悩むこと=考えること』ではないなと思い至った。悩みというものの内容物を紐解くと、そこには思考の他に感情がブレンドされているからだ。
 わたしを含め、悩みがちな人ほど、思考と感情の線引きが下手だなと最近よく思う。少々ドライになっても良いことでも感情が邪魔をして妙な逃げ道をつくるものだから、堂々巡りの思考と感情の螺旋が完成し、抜け出せなくなってしまうのだ。悩み続ける悪い習慣を持っている人の多くは、「わたしにも悪い所があるし」といった類いの謙虚さを持っている美徳がある。けれど、最初は素直なはずの謙虚さが、いつしか転じて臆病さや自己否定にまで発展し、そのまま悩み続け、最後には多くの人が自分を自分で追い込み、精神病になるのだと思う。
 幸か不幸か、わたしは若い頃から人間関係の試練に直面する機会が多かったので、この歳になってようやく悩むことに対する免疫力が多少はついてきたと思う。だから、パワーハラスメントを受けていた時も辛かったけれど、精神病にはならなくてすんだ。
 でも今後のためにも、もっとタフさは必要だと思うので、『悩み=感情+思考』なんだということを、あたかも科学的な根拠かのようにシンプルに理解するようにしている。根拠があれば、原因不明の不安に振り回される頻度も少ないはずだから。

 例えば前述の、悩みに関する整頓された思考手順でつかったような『考える力』が、現在のわたしが理想とする賢さの一端にはあると思う。もちろん賢い人でも精神病になるし、賢さが仇になって人生損してる人格破綻者ともわたしは出逢ったことがあるので、賢い人がいちばんすごい・バンザイ・完璧・最高・愛してる!ということを言いたい訳ではないのだけれど、考えるという行為や、考えたことを言葉や形にして何らかの伝達手段でもって誰かと共有するということは、30歳以降、自分を磨いていく為には重要なのだと思う。
 そもそもわたしは、セセコマしい日常風景を公開ブログとしてひっそりと書いているような奇特者なので、お金のかからない趣味くらいの気分で『考える力』を鍛えるという行為に今年から力を注いでみようかと思う。それで少しは文章が上達すれば一石二鳥ではないか。

 冒頭に載せたのは、英会話の勉強中に思い出した哲学者ウィトゲンシュタインの格言。当面は、この『言語』が意味するものについて、思考してみようかと思う。

 これを読んでくださった奇特なあたな様にとっての賢さとは、一体なんでしょうか。



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2014/01/10

散歩の口実

《 Tokyo Somewhere 》

 6時30分起床。

 今朝は朝から面倒な用事を済ませてしまいたかったので、朝の家事を一通りやった後、早々に身支度をして出掛けた。
 自分だけの都合で動ける類いの用事は好きだ。散歩の口実になるからだと思う。一日に14時間以上も働いていたもうすこし若い頃にはこういう楽しみを知らなかったけれど、30代を目前にして、心地よく暮らしていく為の自分にあった働き方や時間の使い方を考えはじめてから、用事をこなす楽しさに目覚めたような気がする。
 素敵だなと思う人に30代以上の人たちが多いのも、こういう所に答えがあるのだろうか。彼らに質問すると、決まって20代の過去を恥ずかしそうに話しながら笑っている。それぞれに赤面するような失敗を重ねながら、我武者らに自分の道を突き進み、若さの勢いに任せた恋愛を楽しんだのだろうか。わたしが過ごした20代のように。
 30代に入り彼らはそれぞれのペースを調節しながら、自分らしく楽しむことにエネルギーを注ぎ出したのだと思う。そして『自分らしい』という基準を計れる定規は、自分自身しか持っていないのだ。だから、自分の心と身体と脳みそを頼りにするしかないのだ。
 そうしていくうちに、ようやく大人の人生が始まるのかもしれない。
 わたしも最近になって、自分に必要なものと必要じゃないものへの理解が、また少し増えたように思う。大人の階段を登っているんだろうか。
 そんなことを考えていたら、今日は半日も散歩をして過ごす一日になった。


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2014/01/07

{ とり食堂 } 七草がゆ

《 Seven Herbs of Spring 》

本年、一発目の『とり食堂』です。

七草粥を食べました。
土鍋に日高昆布でじっくり出汁をとって、粥を炊く。
わりと丁寧に。

今年も無病息災であれ。

シンプルに、健康がいちばん大切。
それがなくっちゃ、はじまらない。


In Japan, people eat the seven herb rice porridge "NANAKUSAGAYU" on the morning of January 7th.
This came from the belief that by eating rice porridge with the young herbs in which the vitality of spring dwells would drive off evil and protect one from various illnesses.

Seven Herbs of Spring ]
・Japanese Parsley セリ
・Shepherd's Purse ナズナ
・Cottonweed ゴギョウ
・Chickweed ハコベラ
・Henbit ホトケノザ
・Turnip スズナ
・Japanese Radish スズシロ



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2014/01/04

あれしてこれして休暇を過ごす

《 Let's scrapping from several magazines. 》


今朝は6時30分に起床。

明日で我が家の正月休みもおわりだが、新年の物事始めパワーは未だ継続中だ。


今年の家計簿もつけ始めた。
家計簿によると、わたしの今月のおこずかいは残り26700円らしい。


去年買った雑誌の気になる記事もスクラップした。
スクラップブックは11年前からやりはじめて、
お料理関係とファッションデザイン関係の2冊を続けている。

少しずつなので、全然ページ数はいかないが、
自分で構成したオリジナルブックなのでわりと大切にしている。

あとは新しいスケジュール手帳を用意して、2014年の活動準備をすればよろしい。
昨年末、本屋や文房具店でさんざん悩んだ後に決め兼ね、まだ買っていなかったのだ。

なんだかすでにスタートダッシュで出遅れたようで、すこし後悔している。
2014年が短距離走でなく長距離走で、遅れを挽回できるような一年だといいのだが。

とりあえず明日、手帳を用意しよう。そうしよう。


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2014/01/02

丁寧な生活のお手本

《 The year's first calligraphy 》



7時30分に起床。


朝ご飯に炊きたての五穀米と、カニ鍋の残りでカニ汁を用意した。

フワフワになるまで豆をかいた水戸納豆には、広島菜漬けのみじん切りを入れた。

とても美味しい和食の朝食を食べ、五感が目覚めた。
良い香りや良い味に対して、真剣に取り組んだ。

さらに淹れたばかりの黒豆茶をずずっと飲みほした。
身体が芯から暖まるようだった。

そしてテレビで箱根駅伝を見はじめた。

テレビの前で編み物をする人、

読書をする人、
トランプをする人など、
それぞれ午前中の時間をのんびり過ごした。
我が家の正月らしい風景だった。


昼ご飯に、ざる蕎麦と下仁田ネギのかき揚げ天ぷらを作った。
この年末年始の台所当番は、母と交代に行っているが
5人前の食事を作るのにもすっかり慣れてきた。

午後は散歩がてら買い物にいくことにした。

夕飯の鶏団子鍋にいれる野菜を八百屋で買いたかったのだ。
普段は白菜を1/4サイズでしか購入しないが、
何しろ5人前の食事を毎食作らなければならないので、
丸ごと一個の白菜を買った。

不思議なことに、この白菜はわたしに妙な達成感を与えてくれた。
通勤用の白いマウンテンバイクを買った時や、
MARNIのプラットフォームサンダルを奮発して買った時のような、
確実に財布からお金は消えたのにも関わらず得られる達成感と同じだ。

この矛盾の正体は今後突き詰める必要がありそうだが、
今は正月なので、そんな面倒な思考には取り急ぎ蓋をすることにした。

ちなみに、この白菜は味が濃く甘みが強くて、良い買い物だった。
天日干しをしたかいがあったというものだ。

わたしの趣味は料理なので、新鮮な野菜を手に入れると興奮する。
しかも野菜はカラフルだ。
冷蔵庫が素晴らしい野菜で満たされている時のわたしの気分は
キャリー・ブラッドショーのクローゼットの前に立つ女の子の気分と似ているだろう。

『今日は何を食べたいか?何をつくろうか?』
という楽しいインスピレーションが湧き上がり
盛りつけや食器のことを考えながら、どんどん興奮していく。
食べてくれた家族や友人が美味しそうな顔をしてくれたら、
わたしの顔に幸せそうな笑顔は張り付いたまま、離れないだろう。

特に、正月や長期の休暇のように心にゆとりのある時は、
こういう衣食住の楽しみが充実するのだ。


***


そして今日は、書き初めを
数年ぶりにやった。

字は綺麗に書ける方が良いと思う。

だからお習字は手習いとしてやりがいがある。
墨もいい香りだった。
とても日本的なムードに、日本人として背筋が伸びるようだった。
普段はろくに正座もしないけれど。

習字をしてみて、良い発見は他にもあった。
ゆっくりと集中して字を書くという行為それそのものが、
とても意味深く、素晴らしい慣習なのだと気がついたのだ。
なんというか、ヨガみたいなものだ。
自分自身と向き合う行為に似ている。
集中するということの先にあるものは、一種の感動かもしれない。
自分が生身の人間であることを再認識できる機会は滅多にないからだ。


何を書くか、今年の目標は何か、願い事はなにか、

書く字を探すために熟考しているだけで、自己と見つめ合うことができた。
なので、明日もまた字を書いてみようと思う。

***

正月は日々がシンプルだ。

これは住宅街に佇む我が家の正月が、
少し閉鎖的なほどに個人的で、のんびりしているからだろうか。
箱根駅伝以外、テレビも見ていない。

世間の雑音が少なく、
日常を暮らすということにおけるすべての作業が良い塩梅である。

自分の限られた人生の中で、調和がとれていると感じる機会はあまりない。
けれど今年の正月はその真っただ中にいるような気がする。
これは錯覚なのだろうか。

けれどひとつ思ったことは、
今年こそシンプルな生活の味わい深さを忘れたくないということだ。
これはわたしにとって、どこか誓いにも似た願いごと、あるいは目標だろう。
たとえ、しばらしくして
一生懸命に働く忙しい日々が待ち受けていようとも。

手はじめに、

早寝早起きの習慣を手に入れなければと思う。

わたしの三日坊主はギネスブックも公認だろうが、
新年の誓いは誰にとっても平等なはずだ。

だから、公言してみることにした。


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2014/01/01

神仏にはあいさつ、新月には願いを

《 我が家の素朴おせちとお雑煮 》


あけましておめでとうございます。



***



『新月には願いごとを10個書くと良い』とよく言いますよね。


2014年の元旦、本日の2014分は今年はじめの新月だそうです。

なんだかいつも以上に新月のパワーが強そうなので、素晴らしい一年になるように
願いごとや目標を考えてみようかとおもっています。

さっそく調べてみると、

新月の願いごとの書き方にはちょっとコツがあるそうです。


 『家族や友だちが健やかで幸せに暮らせますように


ではなく、


 『わたしは愛する家族や友だちと健やかで幸せに暮らしています


のように、


願いが叶っている状態をイメージして書くと良いらしいですよ。


10個も願いを用意しなければならないので、

願いのシチュエーションやそれが叶うためには自分がどんな状態かなど、
具体的に想像をして、描写すると願いごとが叶い易いようです。

 『短気にならない』


ではなく、


 『相手の状況や言動に対して冷静に余裕をもって受け答えできる自分になれます


みたいな感じでしょうかね。



ちなみに神仏には願いごとをするのではなく、報告やご挨拶をするものらしいですよ。

なので、地元にある神社の馴染みの神様には新年のご挨拶をしてきました。


***



本年もよろしくお願い致します。



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はじめましての方へ







はじめまして、鳥 / Tory です。 

このブログは2010年よりひっそりはじめました。
どうぞよろしくおねがいします。


《鳥》


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